大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

「つまらない文章」を回避する方法

まえがき

この世にはつまらない文章が多すぎる。かく言う私も適当に書いているとつまらない文章を無限に生成してしまう。面白い文章を書くのにはセンスが必要だ。でも、つまらない文章を回避することは誰にでもできるはずだ。考える頭さえあれば......。
ここでは「つまらない文章」を少なくとも「読める文章」にする方法を頑張って考えてみる*1。あらかじめ断っておくが、これは「面白い文章」を書く方法ではない。これから述べるのはむしろ文章が持つレトリック的な面白さを殺す方法ですらある。だから、面白い文章を目指したい人は各自頑張るべし。でもこれから述べることがいくらか達成されていない文章は(少なくとも私には)つまらない。なお、この書き出しは「日本語の作文技術」っぽいが、それとは内容が被らないようになるべく努力する。とはいえぶっちゃけ「日本語の作文技術」を読めばアホでない限り理路整然とした文章は書けるから、こんな文章を読む前にまずそっちを読んだ方が人生のためである。おすすめ。

 

目次

 

「つまらない文章」の実例 〜これらの文章は何故つまらないのか?〜

ではまずつまらない文章の実例を見てみよう。

 

大学生の自由帳から

 

nujiyucho.hatenablog.com

そもそも何故この文章を書こうかと思い至ったのかというと、最近の「大学生の自由帳」に書かれる文章があまりにも意味不明ポエムすぎるからである。

意味不明ポエムを諌める二ツ島

意味不明ポエムブームの発端は藤田の書いた『あいうえお作文の聖地』探訪だが、藤田の文章は肝心な部分では論理構造は保たれていたし、意味がわからない部分の多くも実は意味があったり韻文として機能したりしていた。真似をすべきはそういった構造であって表層の意味不明さではなかったのだが皆それに飛びつき*2、構造や内容が省みられるのはごく最近になってからだった。そういった数々の過ちの中でもこの文章は明確にゴミである。数々の意味不明ポエムの中で人に伝えようという気が最もない。どこが悪いとかはもはや無くて、どこをどう切り取ってもゴミ。こんな文章はこの先これ以外にお目にかかれないかもしれない(という点においてのみこの文章には一定の価値がある)。

 

某名大生のブログから

note.com

まずはじめに、文章がとても綺麗であることに言及しておきたい。私は大学2年生の時には後述するようにドブカスみたいな文章力でゴミブログを書いていたのだから、それと比べると大した文章力である。正直羨ましい。が、綺麗な文章とは裏腹に何が言いたいのかよくわからないまま内容が進んでいき、結果導き出される結論があまりにもしょうもなさすぎる。内容がしょうもないルサンチマンの塊で占められてるので、羞恥心を抱きながら読むことになる。

 

榊原のブログから

他人を批判してるお前はどうなんだ?との声がどこからともなく聞こえてきそうであるが、私の文章にも当然ゴミが無数にある。そしてゴミの多くは個人ブログ*3に投下していた。結構本当に誰にも読んで欲しくないのだが、恥を偲んでここに公開する。

death-transzendenz.hatenablog.com

どうだろう、自由研の意味不明ポエム群とは異なり話の流れは大体把握できるが、主張が青くてキショすぎるのと途中にあるセルフツッコミとかが痛いのとで見てられないな〜と今だと思う。なんかある意味面白い文章のような気がしてきたが、主張自体はTwitterとかはてなブログに無数に存在するクソ陰キャオタクの独り言といった趣で普通につまらないと思う。つまらない文章を書いていた私は、そのつまらなさを理解していないがゆえに公開することができたのだ。

 

つまらない文章から脱するにはどうすべきか?

さて、つまらない文章の具体例に対してその理由をつらつらと書き連ねたところで、つまらない文章から脱するためにはどうするべきか私見を述べたい。なお先述した通り「日本語の作文技術」に書いてある内容は書かないので、そちらも併せて読むとより良い。

さて、ここからだいぶ長いので先に結論を述べると、つまらない文章を回避するのに重要なことは三つあると思う。それは

 

1. カスみたいなプライドを捨てろ

2. 刺すならちゃんと人を刺せ

3. つまらない主張をするくらいなら死ね

 

 

である。以後これらについて細分化した上で面白おかしく述べる。

 

1. カスみたいなプライドを捨てろ

核心をついた話を避ける奴はカス

ブログの域を出ない限り、自分が考えたり感じた事を書いていない文章はほぼ読む価値がないと言える。だから自分の考えたり感じたことを素直に書けばいいのである。ただし、考えたり感じたりしたことを素直に書こうと思うと苦痛が生じたり、無意識的に避けてしまったりするのが人間の弱いところでもある。だからといって傷つくことを回避するために核心をついた話を避ける奴は心が弱すぎると言わざるを得ない。プライドが高い人間ほどそうなる傾向にある(私もプライドが高いので意識していないとそうなる)が、そんなカスみたいなプライドは捨てて積極的に苦しむべきである。

 

2. 刺すならちゃんと人を刺せ

しっかり刺して息の根を止めろ

「他人に対して批判する場合は配慮が必要なので、注意して行うこと !」

 

などという言説を馬鹿正直にそのまま信じて、うっす〜い砂糖水みたいな主張を繰り広げるのは無意味である。特定個人に対する誹謗中傷と、特定個人から生み出される言動に対する批判は全くの別なのだから、そこを一々確認するやつはアホ。人から批判されたくないから批判しないというのはバカか心が弱すぎるかのどちらかなので、今後その主張をやめるとか全ての相反する主張に引き裂かれ死ぬとかした方が良い。だから必要であれば人に刺される覚悟をした上でしっかり刺して息の根を止めるべし。

 

保身のための言い訳はゴミ

何かを批判したり言及したりする時、言い訳や擁護をしない方がいいと思う。というのも、言い訳や擁護が文章をわかりにくくするから。本来の主張に対しこれらはノイズであるから、なるべく避けるべきである。それでも避けたくない奴は「核心をついた話を避けている」ことを心の底から自覚すべきである。

とはいえ、言い訳が必要な場面は確かにある。その場合にはしても良いと思うが、保身のためだけに存在する言い訳はクソダサい。そんなものは捨ててしまえ。本当にお疲れさん。保身のための言い訳は読み手に貴様のルサンチマンを強く感じさせてしまい、貴様をクソ陰キャ無職引きこもりニート ミソジニー/ミサンドリー ネット 右翼/左翼 にする*4。なんかキモくて薄暗い話になりそうなので漫才で例えると、漫才の最中に「おい!お前、今漫才中だろ!」みたいなメタいツッコミが入っているような状態を想像してほしい。客は漫才師が漫才中に何をしても「ああ、そういうネタなんだな」と思うだけなのに、ネタやってる漫才師が自分たちのためだけに入れるクソ冷めるツッコミ、それが「おい!お前、今漫才中だろ!」だ。私はこのツッコミが入った瞬間にテメエ漫才師やめろと思う*5

 

3. つまらない主張をするくらいなら死ね

論の構造がない文章は無価値

なんか主張がありそうな感じなのに論の構造がない文章を書く奴は高慢である。高慢なので、お前のことを友達だと思っている奴は実は1人もいない。普通に前提を明らかにした上で問題提起をし、本論・結論を打ち出すべきだ。これはなにも読み手だけのためではなく、書き手のためでもある。構造化する段階で自分の主張にある論理的矛盾に気づくことができるからだ。特に論理的思考力の乏しい人間(私)は全てこれをやるべき。

 

中途半端に無意味な文章は苦痛

逆に主張がないのなら、まず論の構造の無さを明らかにし、論以外の構造(韻とか縁語とかレトリック。あるいはコンセプト)を打ち出すべきである。そうでない文章は錦3丁目とかに落ちてるゴミと大差ない。読み手に苦痛を与えたい場合はそうしないという手もあるが、もっと効果的な方法があるので積極的に使う意味はない。

 

しょうもない主張が一番つまらない

よくある主張は多くの人が既にしているのだから、主張そのものがつまらないことが確定している。よほど文章力に自信があるか、何周もした上でその主張に至るか、あるいは切迫した当事者性がない限り避けた方が良い。あと、つまらない人間は必要以上に喋ったり文章を公開したりしない方がいいと思う。これは決してネガティヴな意味ではなくて、要するにその主張を展開する前に一回ちゃんと考えたり調べたりすべきだという事である。でも大体そういうところまで思い至っていないはずだから、周りの人間は理由を添えた上で「それ、つまんないですよ」と進言すべきである。



 

予想される反論と回答

というような事を言った時に予想される(というか実際に言われた)反論として

「自分が面白いと思ったことを、理解してくれる人間にだけ共有できればいい」

「面白い文章を書こうと思っているわけではない」

「面白いと思ってもらわなくても構わない」

といったものが挙げられる。

 

が、 それは逃げであるお前が文章を書いて発表したとき、少なくともお前にとって快い文章を書く努力をしたはずだ。たとえそれが排泄に近い行為だったとしても、なんらかの快感がそこにあったはずである。もしその存在無くして書き上げることができるなら、今すぐ職業作家になって大量の駄文をこの世に撒き散らした方が良い。共有できる人間にだけ共有するというのは合理的だと思うが、それは理解できるだけの最低限の論理・共感できる内容を有している上での話である。他人に理解される努力をせずに理解されようなんて傲慢だし、第一つまらないじゃないか?

 

この文章は矛盾している(?)

初めに言ったように、ここに書いてある事を全て実行した場合、レトリックによる文章の面白みの大半は失われる。失われた結果残るのはてめえの主張だけである。つまりてめえの主張が興味深くなかった場合そこに残るのはカスのみである。でもそれで良いじゃないか、修辞だけ上手くても仕方ないもん。

......とか言っておきつつ、この文章は修辞に塗れている。というか、全ての主張は実際に自分が思っているよりもはるかに語気を強くしているし、無駄な喩えすらある。それは「つまらない文章から脱するためにはどうしたらよいか?」で述べた通り、面白おかしく書きたかったからである。つまり私は、面白おかしく書く場合、これまで述べた私見を適宜破ることによってこれをある程度達成できると思っている*6。無意味な修辞に面白(funny)は宿りうるというわけだ。と言いたいところだが、元の文章が大したことなければ、宿るものも宿らないだろう。皆さんはどう思うか。

 

 

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*1:この記事では説明を簡単にするために「面白い」と「つまらない」とにかなり恣意的な二元論に落とし込んでいる。実際はその間に「つまらないが価値がある」「つまらなくて無価値だが面白がれる」などが無数に存在しているはずだが、そこに言及し始めると一生書き終わることができないので、自明のものとする。ただし、別の記事で議論したいとは思っている

*2:私も飛びつきました

*3:大学生にありがちな鬱々とした感情を抱いていた時に書いていたブログ

*4:「/」で分けられているものは、自分が当てはまりそうなものを選んでね!

*5:なおこの話に限ったことではなく、漫才で出てきたら寒くなることをしないように心がけるだけで文章はずっと良くなると思う

*6:センス次第だが。ちなみに私は「なんか偉そうなこと言ってますけど、あなたの文章ってセンスないですね笑」と言われたら口をモゴモゴすることしかできない