知っている。
俺は、ニャンちゅうがお姉さんの家に勝手に住み着いている喋る猫だったことを知っている。
「母と子のテレビタイム土曜版」のキャラクターだったことも知っている。
みんな知っていたはずなのに、もう誰もそのことを覚えていない。ニャンちゅうのことなんて誰も思い出さない。俺は毎時毎秒思い出しているのに。
こちらニャンちゅう宇宙放送局
こちらニャンちゅう宇宙放送局
聞こえていたら誰か応答してくれ
どうぞ
* * *
ーー聞こえてくるのは
無印良品みたいな男と無印良品みたいな女がする無印良品みたいな会話とカルディーみたいな男とカルディーみたいな女がするカルディーみたいな会話。
耳をすませば、「大学がつまらない」と嘆く大学生の声も聞こえてくるようだ。
あと鳩の声。
鳩は「空っぽの人間 生きる 方法 検索 空っぽの人間 生きる 方法 検索」と鳴く。
だから私たちは友達になれた。
* * *
火曜日の朝、大学に向かう私の前に立ち塞がる破れた可燃ゴミ袋と生ゴミの山。カラスが突いているのはキャベツではなくニャンちゅうの死体だった。
私はその横を足速に通り過ぎた。はやくしないと。一限がもうすぐ始まる。
* * *
2019年4月1日午前11時41分、私たちはダイニングフォレストで新元号が発表される瞬間を見た。
それ以来、私たちが会うことはなかった。
* * *
一限の授業は「NHK教育テレビジョンの変遷 〜母と子のテレビタイムはいかにして誕生したか〜」だった。
「NHK教育の『おこめ』という番組がありますね」と教授は言った。
「......『おこめ』は日本人の主食たる米にフォーカスし、米についてのみ語るとてもストイックな番組でした」
「先生、今は『母と子のテレビタイム』についての講義ですよね。『おこめ』は総合的な学習の時間のための番組ですから、本講義の内容とは異なります。ちゃんと講義してください」と私の隣に座る女が言った。
彼女は「えいごリアン」DVD五巻セットを既に廃盤になっているにもかかわらず注文し続けたため、一昨日、南部生協プラザを出禁になったそうだ。
* * *
2019年の夏は誰にも言わず、人知れず張り紙を貼り続けた。
仲間がいなくても何かをしなければならない。あらゆる人間に、全く気付かれない形で加害し続けなければならない。はたして本当にそうだったのかはもはや誰にもわからないが......。
いや、「全く気付かれない」必要はないということに気づいたのだろう。
* * *
昼過ぎに家に戻ると、ニャンちゅうはまだそこにいた。
ニャンちゅうの顔はパンパンに膨れ上がり、右目が道路の向こう側へと転がっていった。
今対向車に右目が踏み潰された。
「ニャンちゅうだおぉん......」と私は呟いた。
* * *
京都大学に代表される「変わった大学生」は、それ単体で変わっていることはまずないだろう。彼ら以前に存在していた人・文化・風土がそう勘違いさせるのだと私は思う。実際、そういった場所にいる人たちは急進的であるようでいて、実のところは保守的だったりする。周りに変わっている人たちがいる(いた)から自分たちも変わっているように振る舞う、私はこれを「大いなる惰性」と呼ぶことにした。
* * *
朝起きると外が何やら騒がしい。窓を開けると黒い服を着た男たちが何十人も列をなしてぞろぞろ歩いていた。
一体なんなのか、と列の男たちに聞くと「ニャンちゅうへ献花をしに来たのです」と答えた。
その葬列は何日も途絶えることはなかったが、次第に人数は減っていった。そして先週訪れた参列者がどうやら最後だったらしい。道に置かれた花は次第に萎れ、風に吹かれて散っていった。
* * *
我々は、誰が何をしているのかではなくて、自分が何をしたいのかに興味を持つべきなのだと思う。そしてそういう人間が自然と集まることができたらそれが理想だ。
「1人よりも2人」かも知れないが、1人でもできるような強さを持つ人間が。
内部だけではなく、外部に発信し続けられるような強さを持つ人間が。