大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

2020

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東京オリンピックが決まったあたりから、わりと真剣に「2020年で日本は終わるんじゃないか」と思っていた。

 

昔々に読んだ『完全自殺マニュアル』の序文に、確か「ぼくたちは「でかい一発」を待っていた。でもそれは来なかった。」というような意味のことが書いてあった。ハルマゲドンも恐怖の大魔王も来ない世界で、ぼくたちは「終わりなき日常」を生きねばならない、と。

 

私たちが生きるこの世界は、大きな物語や世界観を語ることができない世界で、記号化された差異を消費させられ続ける世界で、「他人に迷惑をかけなければ何をしてもいいよ、私は君に責任も取らないし関係もないけど」としか言ってくれない世界だ。

 

神が死んでしまった、生から意味が剥奪された廃墟のような世界に、悪霊や偽預言者や魑魅魍魎が群雄割拠している。人は物語がなければ生きていけない。そこにカルト(必ずしも新興宗教とは限らない)が付け込んでくる。

 

「彼は病気の間にこんな夢を見たのである。全世界が、アジアの奥地からヨーロッパにひろがっていくある恐ろしい、見たことも聞いたこともないような疫病の犠牲になる運命になった。ごく少数のある選ばれた人々を除いては、全部死ななければならなかった。それは人体に取りつく微生物で、新しい旋毛虫のようなものだった。しかもこれらの微生物は知恵と意志を与えられた魔性だった。これにとりつかれた人々は、たちまち凶暴な狂人になった。しかも感染すると、かつて人々が一度も決して抱いたことがないほどの強烈な自信をもって、自分は聡明で、自分の信念は正しいと思い込むようになるのである。自分の判決、自分の理論、自分の道徳上の信念、自分の信仰を、これほど絶対だと信じた人々は、かつてなかった。全村、全都市、全民族が感染して、狂人になった。すべての人々が不安になっておののき、互いに相手が理解できず、一人一人が自分だけが真理を知っていると考えて、他の人々を見ては苦しみ、自分の胸を殴りつけ、手をもみしだきながら泣いた。誰をどう裁いていいのか、わからなかったし、何を悪とし、何を善とするか、ないうらみで互いに殺し合った。(…)人も物ものこらず亡びてしまった。疫病は成長し、ますますひろがっていった。全世界でこの災厄を逃れることができたのは、わずか数人の人々だった。それは新しい人種と新しい生活を創り、地上を更新し浄化する使命をおびた純粋な選ばれた人々だったが、誰もどこにもそれらの人々を見たことがなかったし、誰もそれらの人々の声や言葉を聞いた者はなかった。」(ドストエフスキー罪と罰』工藤精一郎訳) 

 

私たちがすべきなのは、劇的な救済や破滅を望むことではないだろう。地道で無駄に見えることや、陳腐にしか聞こえないようなことが、実は私たちを救うかもしれないのだ。

 

 

ということを、Netflixで「呪怨」をみながら考えました。年明け早々見るんじゃなかった。