二年生の夏。梅雨が明け、期末テストが始まるころ。
名大にも慣れてきて「第3グリーンベルトは運動場だから全然グリーンじゃない」みたいな初歩的な話は少し飽きてきて、マニアックな名大トリビアを求めだしたころ。
試験のことを考えたくない気持ちも相まって、ぼくはなんとなく生協の名大グッズのページを開いた。
そのまま眺めていると、ある商品が目に留まる。
クッキーの説明とは思えない意味深なことが書いてある。「買って頂くとわかります。」なんて若干腹立たしい文章とセットで。
"19"が名大独自の何かにかかっているのだろうか。
学部や学科、研究科のような名大を構成する組織の数か。それか名大の主要な施設の数か……。
もっとマニアックなところで、第八高校のように前身となった組織の数か。それかノーベル賞のように偉大な発見についてのことか……。
いろいろ考えたり調べたりしたけど、名大のどんなことにもその数字は引っかからない。
こうなると流石に気になってしまうので、悔しいが買って確かめたくなる。
しかし、1234円。値段がキモい……ではなく、決して安くはない。
好奇心、値段、それとあの文章に乗せられる屈辱感を天秤にかけて、結局買わないことにした。
そしてそのまま、試験期間の忙しさにもまれる内に名大クッキーのことは忘れてしまった……。
しばらく時間がたって、三年生の春。「新入生不歓迎会」が開かれた。
「新入生不歓迎会」の詳細が決定しました。 pic.twitter.com/DGW5ViaMSz
— 大学生の自由研究 (@nu_jiyu_ken9) 2023年4月23日
新歓で奢られ飽きたはずの新入生を奢る側にしてあげようという、素敵なイベントだ。
当日、北部生協前。ぼくは他の自由研メンバーたちと一緒に新入生を待ったが……
結局、新入生は現れなかった。
新入生不歓迎会、集合しています
— 大学生の自由研究 (@nu_jiyu_ken9) 2023年4月27日
今のところ新入生はいません pic.twitter.com/C4txsFHOew
仕方ない。このイベントに参加するような新入生が万が一いてしまったら最高というだけの話で、参加者が誰もいないのは当たり前だ。
参加者を待つだけの暇な時間。
端からどうせ誰も来ないだろうと思っていたこともあって、ぼくの興味は参上するかもしれない新入生から、目の前の北部購買のことに移っていた。
他のメンバーと雑談しつつ入口を外からぼうっと眺めていると、不意に名大クッキーのことを思い出した。
「そういえば、名大クッキーの19枚の謎って知っていますか?」
ぼくはそう切り出して、名大生協HPの意味深な文章のことを伝えた。
するとその場にいた一人の江坂さんが、にわかに「買おう!」と言いだした。
「買おう!そんなの腹が立つから。」
「え、買うんですか!?」
「そんなのどうしても気になっちゃうから。頭を悩まされる時間がもったいないし、腹立たしいから買おう。1000円とかでいい?」
恐るべき男、江坂大樹。気前よく1000円を差し出した彼により、突然買って確かめる流れになってしまった。
しかしこれは渡りに船。結局ぼくを踏みとどまらせていたのは1234円という絶妙に高い値段だけだった。それが今は234円で真実にたどり着ける。
買うしかない。当然。
すぐに北部購買へ駆け込み、名大クッキーを買ってきた。
すぐにでも答えを確かめたい気分だったけど、自由研メンバーのみんなは「新入生不歓迎会」のためにお腹をすかせて来ていた。
名大クッキーは逃げたりしない。先に新入生不在の食事会をするため、ぼくたちは北部食堂に入った。
注文口に並ぶ間も、食事中も。"19"の正体について話し合った。
しかし誰もそのような数字と名大との関わりに心当たりはなく、これといった予想は立たなかった。
江坂さんをはじめとした名大通の先輩たちにすら分からないとは……ますます好奇心を掻き立てられる。
一方で「どうせ大した理由じゃないですよ」という声もあがり、それは全くもって共感できる予見だった。
こういったときに見合った結果が待っているなんてこと、そうそうない。
でも、そうやって期待外れな結末へ心の準備をしていることそのものが、大きな期待の裏返しに他ならないことも確かだった。
何にせよどんな答えが待っているか……それはもう考えるべきことではなくなっていて、手元にあるこの箱の中身を見て、暴いてしまうべきことだった。
夕方の北部食堂はほどよく空いていた。
食事を終えたぼくたちは、そのまま謎の答えを確かめることにした。
開けよう。
「colonbin」とはフランス語で野鳩。
平和の鳥。それが周りを囲うように書いてある。
まるでこの箱の無害さを触れ回っているかのように……。
この中にクッキー……そして、答えが入っているのだろうか。
緊張感のますます高まる中、箱を開けた。
まだ答えにはたどり着けず、肩透かしを食らってしまった。
憎たらしい過剰包装だ。
しかし、ロゴがコロンバンから名大のものへ入れ替わり、より核心へ近づいていることが示唆されている。
次は確実にたどり着ける……。
ドキドキしながら蓋に手をかけた。
ついにクッキーが現れた!もう答えは目の前に違いない。
一番怪しいのは上に乗った紙。
"19"の正体のような込み入った情報を載せるなら、これが一番ぴったりに見える。
答えは出来るだけ最後の方が気持ちいいので、クッキー、紙の順に確かめよう。
一通り見たけど、これといったことはない。普通のクッキーだ。
あと見ていない場所があるとするなら……
あっ。
そういうことか。
そのあとのことはほとんど覚えていない。
他のメンバーに聞く限りでは、なにかを理解したような仕草のあと大きく取り乱したかと思えば、突然ぬけ殻のようになってフラフラと名大駅に向かったそうだ。
パンドラの箱を開けると様々な厄災が流れ出し、最後には希望が残った。
名大クッキーはその逆。開けると様々な恵み(クッキー)が飛び出し、底にあったのは絶望だった。
19枚の謎。その答えを理解してしまうと、深い絶望に襲われてしまうことになる、ということなのだろうか。
自分が何を理解したのかはまったく記憶にない。思い出そうとするだけでとても嫌な気分になる。本能的にあの出来事を記憶から追い出そうとしているのだろう。
ぼくは長い間名大クッキーの事ごと忘れてしまっていた。
しばらくして、唐突にあの日のことを思い出したぼくは再び名大グッズの紹介ページを見返した。
物価高という切実な社会情勢と比べても、ずっと大きな異変がある。
「なぜ、19枚なのでしょうか。買って頂くとわかります。」
以前まであった一文が無くなっている。
ぼくを罠へ誘ったあの文が。どういうことだろう。
謎をめぐって箱を開けた記憶が間違っていたということはない。
過去のWebサイトをさかのぼることのできるツールを使うと、あの文は確かにあった。
もしかすると、もうあの箱を開けても答えは入っていないのかもしれない。
真実を理解して絶望するのは一人で十分だったということだろうか。
手がかりを求めて調べてみると、どうやら「コロンバンの大学クッキー」というのは多くの大学生協でグッズになっていた。
なかには18枚や33枚の物もあったけど、19枚の大学クッキーも結構おおい。
しかし、よその大学の説明には「なぜ、19枚なのでしょうか。」のような意味深な示唆はどこにもない。
どうして名大だけ……。
考えても分からない。謎が謎を呼んでしまった。
なぜ、19枚なのか。
その答えは、今売られている名大クッキーの中にも眠っているのだろうか。
分からない。
でも、もう買って開けるなんてことはしたくない。
結局あの日買ったクッキーも、再び開けるのが怖くてまだ手をつけていない。
あの箱は、開けてはいけない箱だったんだ。