ごまスティック?!
バカな、死んだはずでは..?!
半年前に...
あ、ある...
販売終了直前に購入してから約半年の間ずっと部屋で保管していたごまスティックを、ついに食べてしまうことにした。エースの母親?
開封をもう半年、またはもっと待つべきかどうかでかなり深刻に悩んだが、やはり賞味期限内に、ごまスティックがごまスティックとして許される味の範囲内にあるうちに食べたいという思いが勝って、本日(昨日)決行する運びとなった。
なんか緊張するな。本当に食べちゃっていいのか分からない。
開けるのが一番緊張する。
へんに躊躇してたら、うっかり「きりくち」を発見してしまった。
普段なら絶対に悩まないが、「きりくち」から開けるべきか、いつもしてるように↓開けるべきかで、かなり深刻に悩む。
わざわざ「きりくち」と書いているということは、それが”望ましい”ごまスティックの開け方なのではないか。もしそうなら、これまで私は我流というか邪道な方法でしか開封したことがなかったが、ここでこのインストラクションに従わなければ、私はついに正当な開封方法を一度も実践しなかった人間として残された人生を生きることになる。
私は、「ごまスティックを食べる」という行為を一切の遺漏や手抜かり無く完璧に遂行したいという野望を持ってここにいる。なんとなれば、最後だから。このごまスティックの100%を経験したい。いや、経験したいというより、実行したい。それでもって、私の「ごまスティックの記憶」をきれいに終わらせたい。
しかし邪道は邪道で、私のルーティンであり、私の中に歴史を持っている。「きりくち」から開けるのがごまスティックの100%なのかもしれないが、それは私の100%ではない。どちらの100%を遂行するのが「ごまスティックの記憶をきれいに終わらせる」ことになるのか。分からない。分からない。なんで菓子の袋1つ開けるのにこんな躊躇してるのか分からない。
きりくちで開けた。理由は、きりくちを見てたら開けたくなったから。
開いてしまった。食べ物が覗いている。食べ物が入っているという意識が希薄だったので、ちょっとキモい。
ところで前回、
そういえば何本入ってたんだろう。しまった、数えればよかった。思考が途絶してるうちに、もうトレーの底が見えてる。前もそうだった。
とか書いていた。
このことを1グリに来る途中に思いだして、本数を数えるべきか否かでわりと深刻に悩んでいた。
確かにこれが、ごまスティックの大体の本数を知るおそらく最後のチャンスだ。しかし最後だからといって、本数を数えるまでするのはちょっと異常というか変態的というか、「最後」に囚われすぎなのではないか。さっきのきりくちの件と同じで、最後こそ肩の力を抜いて自然に振る舞うべきではないのか。
それに、こんなどうでもいいことは寧ろ謎のまま残しておいた方が、記憶として面白いのではないか。ちょっとボケた写真のほうが味があるのと同じように。つまらないことは知ってもつまらないだけだ。
だがこと記憶に関して言えば、何か”ごまスティックにまつわる数字”が欲しい気もしてきた。ごまスティックへと通じる、あるいはうっかり転げる抜け道が脳に欲しい。または、啓示が欲しい。突然ごまスティックに指名された1つの数字が、私と無関係でなくなってほしい。一体どうすべきなんだ。
結局数えてしまった。理由は、本数が知りたくなったから。
20本だった。タバコみたい。
なんか、タバコモザイクウイルスみたいな形してるかも。名前が好きで覚えてるウイルス。
「COOP FAMILY」が破かれている。私が意図的に破ったんじゃない。「そう破れ」とこいつが言ったのだ。
腹のもようが愉快だ。あるいはキモい。夜で天気も悪いから、キモさがやや勝ってる。キモさが勝ってるから、ちょっと食べるのに抵抗がある。
ちょっとシケてる。ちょっとだから、ビスケットが「疲れてる」って感じがする。なんというか、表面が抵抗してこない。咬合を受け入れている。
名前がしょっぱそうな分、いつ食べても想像よりちょっと甘い。
2本目だが、やっぱりけっこうシケてる。ビスケットの1口目って本来もっとサクサクだったなと、2本目を食べて気づく。
本数を数えてしまったせいで、「あと何本」の観念がまとわりついてくる。ごまスティックなんてそんな無くなって惜しいものでもないから、やめればよかったかも。
ごまに元気がない。元々か?
久々におじいちゃんに会ったらすっかり老け込んで病人然としていたときの空悲しさを感じる。シケてる感じも、おじいちゃんの骨みたいで嫌だ。
それでも、ごまスポット(?)を噛んだときだけ、ごまが足早に駆け抜ける。それ以外のときは、ずっとビスケットの甘さと塩味。
夜中のビジホみたい。時々廊下から足音がする。
もっと甘かった気もしてきた。全部が弱くなってる?
舌も記憶も信用できない。明らかにロケーションと哀れなビスケットの姿に感覚が引っ張られてる。
意外となくならないので、「ごまスティック」であいうえお作文をしてみるか。
はたしてあいうえお作文には、ある情景や経験を独自の方法で、独自の形式において表現する能力があるのか。あいうえお作文はHAIKUになれるのか、あるいはHAIKUにできない何ができるのか。
「ティッ」が鬼門過ぎる。
ご :午後4時、バス停でまどろんでいたら
ま :マナカをすばしこい鳥にスられた
ス :すっかり日も暮れた頃、バス停に戻ってみると
ティッ:ティッシュ配りのお兄さんがティッシュに溺れて死んでいた
ク :熊手はちゃんとそこに立て掛けてあったのに
考えている間に、ごまスティックを5,6本消費した。1行が約1本分に相当してるのか。私はごまスティックを「ごまスティック」のあいうえお作文に変換する関数なのか。
表面が抵抗してこないと書いたが、なんか謝ってるみたいに思えてきた。2023年10月に存在しているべきではないビスケット、本領を全く発揮できていないビスケット。半年部屋に監禁されて鬱になったみたいでもある。
いや、ふて腐れてるようにも思えてきた。やる気がない。
しばらく食べてるが、本当に退屈なお菓子だ。退屈過ぎて面白い。
あんなに惜しかったのに、早く殺してこの世から消し去ってやらねば、という気分になってきた。
不意に、「スティック」と名前にあるからか、ビスケットが咀嚼されて形を失うことがとてつもなく虚しく残酷なことのように感じられてきた。
芝生ではしゃいでる男女がいる。かたや夜中に一人で、販売終了から半年経ったしなしなのビスケットをぼそぼそ食べる私。なにが悲しくて。まあ勝手にやってるんだが。
ごまスティックは、もしや私か。たしかに、申し訳なさそうにしているようでただふて腐れて不機嫌なだけというところとか、まさに私だ。俄然憎たらしい!
ラスト1本、何の高揚感も緊張感もないし、少しも惜しくない。疲れたビスケットを食ってたらこっちも疲れてきた。
最後の一口、心なしか甘かった気がする。多分途中味わうのをサボっていたからだが。
一昨日来やがれ、お前が来たのは明後日