大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

死について語るとき

私が物心ついてしばらくの間、母が乗っていた車はトヨタVitzでした。

そのVitzカーディーラーに私はことあるごとに連れていってもらいました。そこで私は担当のお兄さんからジュースやヘリウム入りのアルミ風船などをもらうのでした。どうして見ず知らずの人間がこんなに優しくしてくれるのか、幼い私には理解できませんでしたが、そのお兄さんのことは好きでした。

ある日ディーラーに行くと、販売店にあるまじき重苦しさが漂っていました。お兄さんが死んだからです。確か結婚を控えていたとか、新婚ほやほやとかだったはずです。あまりに早すぎる死でした。幼い私にどう伝えようか迷いながら皆は話してくれたのですが、私は「人間って早く死ぬこともあるんだ」くらいにしか思っていなかったので、それはあまり意味のないことなのでした。

 

またある時、親戚のお通夜と葬式に参列しました。

詳細は伏せるのですが、こちらも早い死でした。遺体が棺に収められるとき、遺族は言わずもがな、その周りにいた黒い服を着た大人たちまでもが皆声をあげて泣いていました。このとき最も衝撃的だったのが、涙を私に見せたことがなかった父が人目を気にせずに大泣きしていたことです。これは父と故人との間に並々ならぬ親交があったからなのですが、全く文脈を知らない私にとっては「おもしろ」でしかなかったのでした。

 

そして今年の2月に祖父が亡くなりました。

軽い脳卒中で入院したまま、何故か肺炎で死にました。これは新型コロナウイルスとかではなくて、長年の喫煙の結果、肺がボロボロになっていたからなのでした。

通夜の日は用事があったので、私はかなり遅れて参列しました。私が焼香した瞬間に読経が終了してしまったので何かの間違いなんじゃないかと思いましたが、全然間違いとかではなくて、ただ単に私が来るのが遅かっただけでした。気を利かせてもう一周読経するとかはないんだなという気づきを得ました。

二日目の葬式も粛々とこなしたわけですが、火で遺体をボロッボロの骨にして、その骨を火葬場の職員がボキボキにへし折って、そのかけらをやたら持ちにくい箸で我々遺族が二人がかりで骨壷に詰めるのは、悪い冗談としか思えませんでした。しかし私は悪い冗談が大好きなので、おもしろ体験として受け取りました。その後職員の方々は「残りの骨は私たちの方で責任もってご供養させていただきます」と言って90度の最敬礼を我々にしていましたが、まあ、破砕して埋めるんだろうなあ。

「今までは割と遠縁の親戚が亡くなっていたからそんなに感慨が湧かなかったけど、親しみのある祖父が亡くなった今、何かしら心境の変化とかあるのかな?」と期待して参列していたのですが、何の感情も湧かず、「おもしろ」が存在したのでそれなりにショックでした。

 

 

 

 

だから何だってんだって話で。

 

 

 

 

死について語るとき、その他のものを語る場合と比較してそれっぽいことが言えます。言えますが、そんなことは他人に任せておけばよろしい。

例えばこの文章で、祖父との思い出を交えてこれでもかというほどに美化することも可能(そしてそれは嘘ではなく全くの真実)ですが、それを超えるくらい死とそれにまつわる儀式は面白い。ちなみにこれは「奇を衒っちゃってる俺氏、最高!デュフフ」という訳ではない(ただし奇を衒うのは好き)。私だって祖父の死ぐらいおもしろ感情抜きで追悼したかった。でも面白いんだから仕方ないだろうよ。きっと両親の死や最愛の人の死もこうやって面白体験として受け取るんだ、私は。何で自分の死は深刻なのに、人の死はこんなに中途半端に面白いんだ。どうしてこんなに中途半端なんだ。反応しづらすぎるからやめてほしいし、こうして書いた文章が、死を冒涜している文章や逆に人の死を悲しんでいる文章に誤読されないか不安だ。私は究極に面白い死やもっと軽やかでこざっぱりした死があってもいいと思っているだけなのに......。