先日、ある学生から
「SNSで『大学生の自由研究』の紹介をさせてもらえないか?」
と連絡が来ました。
その団体は、インスタだかFacebookだかで名大生お役立ち情報を発信しており、その一環でサークル紹介もしていたようです。
しかしご存じの通り、「大学生の自由研究」は自由を愛し、孤高を尊び、勇気と好奇心を持つ者たちの哀しき桃源郷。
平たく言えば変人コレクションの謎団体です。
いったいどんな紹介文を書いたものか。
そういうわけで僕が書くことになりました。
めちゃめちゃ真面目かつ気分的に内容を考えた結果、次のような感じの文章が書けました。
大学生は魔法の時間です。
このモラトリアムにあふれた夢のような4年間を、君たちはどう過ごすでしょうか。
ユルい飲みサーに入って毎日ボドゲ、授業は代返・楽単・時に落単、お昼には本名も知らない同級生と下ネタでバカ笑い、必死に勉強した英単語も1か月後にはパーでしょうか。
それとも、講義では常に最前列、早いうちからGPAを貯め、起業家界隈の先輩たちと交流しつつ留学・ES・インターン、他大生の恋人を作り、机の上には哲学書・自己啓発本が何冊も。
本当にそれでいいのでしょうか。
本当にそれで何者かになれるのでしょうか。
この無責任で自由な狂った時間を、そんなことに溶かしていいのでしょうか。
もし君が、この広いキャンパスで小さな違和感を感じたら、「大学生の自由研究」に入ってみてください。
なんかやりたいときになんかやろう。
1人より2人でやろう。
飽きたらやめよう。
で、こいつぁ名文!と思いながらその団体に文章を託したわけです。
キッチリ20日後、勘のいい方はお察しでしょうが何の音沙汰もなく、
「変だな???」
と思ったので担当者の学生にLINEを飛ばしました。
そうしたら、丸2日経った後で
「文章がうちのブランドイメージに合っていないため掲載は控えさせてください!
連絡してなくてすみません!」
みたいな返答が返ってきました。
その学生さんにはそのあと普通に説教をしたのですが、まあ大学生の責任感なんてこんなもんです。
……え、クソみたいな文を送った僕が悪い???
正直それはそうなのですが、今回僕が
「大学生、責任感ねえな~~」
と思ったのは、送った文が掲載されなかったからではなく22日間まったく連絡がなかったからです。
学生の責任感、ダンゴムシ並み
思えば過去にもこんなことはザラでした。
自分はかつて名大作曲同好会の主宰をしており、色々な企画に携わりました。
「どうせだし、名大の音楽系サークルの人たちとコラボして人脈つくるぞ~~!」
当時はこんな風に思っていましたが、それが単位チョコ並に甘い考えだったことを知ります。
作曲サークルのAniti-Aging Recordさんとコラボしてアルバムを作ったときには、曲の提出〆切を過ぎても音沙汰がない人がいたので個別に連絡を取ったところ、既読だけ付いて数日返事がありませんでした。
パッととスマホ出してちょっと文章打つだけのことがそんなに大変なのでしょうか。
また、知り合いの起業家から音楽の仕事を頼まれたときは、
「明日依頼主と繋ぎます!」
と言われてから何もなく丸2日経ったので僕から連絡をしたところ、さらに1週間待たされた上で「ナシになった」と伝えられました。
コンサートを企画すれば、演奏拒否の問題はいつもつきまといました。
事前に楽譜を見せて、
「こういう曲ですが演奏できますか???」
と聞くと、ほとんどの学生が
「うん、多分大丈夫です!」
と答えてくれます。
そして後になってから、
「なんか思ってたより難しかったので、曲数減らせませんか?」
とか
「家で練習してたら家族に怒られたので、申し訳ありませんが演奏できません!」
などとバラエティに富んだ理由で演奏を拒否してくれます。
でもこんなのはまだマシで、もっと酷い事態も平気で起きます。
ピアノコンサートで名大ピアノ同好会の方とコラボしたときは、本番1週間前に
「すんません、急用が入りました!出演できなくなったんで代役探しといてください!」
という意味不明な連絡でドタキャンされました。
そのせいでコンサートの大部分がカットされて入場料を無料に変更せざるを得なくなりましたが、彼にとっては些細なことだったようです。
またあるときは、僕のコンサートに取材したいという団体が来たこともあります。
例によって名大生の特集的なのを発信している学生団体で、
「コンサートの日に取材させてもらえませんか!?」
とアポが来たので快諾しました。
しかし、アポを取った時間になっても担当の学生が一向に来ず、
「すみません、電車逃したので遅れます!」
みたいな連絡が2度ほど来て、結局30分以上遅れてノコノコやってきました。
当然ですが、こちらはキッチリとタイムテーブルを組んで分単位でコンサートに臨んでいるわけです。
さすがに腹が立ったので、彼が来るなり
「舞台監督がカンカンに怒っているので、まず謝りに行こう」
と伝えてやると、さっきまで飄々としていたのが突然目に見えて萎縮し、かわいそうなくらいに怯え始めました。
上に書いたのは全部僕の実体験なのですが、普通に想像力が霊長類にしては乏しすぎやしませんか……?
受験から解放された喜びで大脳新皮質ごと吹っ飛んでしまったのでしょうか。
ダンゴムシは30秒後の未来を想像できないことが知られています(?)が、そういう意味では大学生も似たようなもんかも知れません。
硬い殻にこもって丸まっていがちだし……。
ここまで読んで笑ったお前へ
ここまで読んで、
「無責任大学生、きめ~~w(ニチャア)」
とほくそ笑んだあなたは、まずTwitterをやめて学校に行き現実世界の友達を作りましょう。
いや、ちゃんとやってるならいいけど、何かやって失敗するより何もしない方が尊いわけないので。普通に。
事実、舞台監督に謝る羽目になって震えていた彼は、数年後に再び話したときは別人のように成長していました。
起業家界隈だって、キッチリ事業を立てて身を立てている人は確かにいて、そういう人は迫力が違います。
僕自身も入学当初はそれこそカスのような責任感のなさで、部活もバイトもサボったり、後輩に怒鳴られたことさえあります。
だから問題なのは、せっかくのモラトリアムである大学生活で全く成長しないことです。
みんな勘違いしていますが、モラトリアムというのは"準備のために"与えられた余暇であって、好きに倦んでいいよタイムではなくないですか???
だとすれば、多くの大学生が3年になっても4年になってもこんなザマなのは何やねんという話です。
しかも起業家界隈とかの意識たけー奴らであるほど軽佻浮薄なのは何なんだ。
なんで大学生は責任感がなく、報連相が1つもできず、ダンゴムシ並みの想像力しか行使できないのでしょうか。
その性善説をやめろ
その理由を考えてみると、正直無限に出てきそうです。
名大合格で人生ゴールした気になっている・自分がけっこう優秀だと勘違いしている・自由の意味をはき違えている・臆病な自尊心と尊大な羞恥心・アホ・うんこ・チンパンジー・等々
でもここで僕が気になるのは、
「君たち脳みそ性善説すぎんか???」
ということです。
例えば、自由研のサークル紹介をしたいと言ってくれた彼は、初めきっとこう思っていたことでしょう。
「きっとこの人は、当たり障りなくブランドイメージに沿った文章を書いてくれるだろう……」
そして僕の奇怪な文章を受け取った後は、こう思ったのではないでしょうか。
「どう考えても掲載できないけど、言いづらいから連絡しないでおけば察してくれるだろう……」
実に性善説的で、今まさに他人と関わろうとしている人間の態度には見えません。
自分と他人とは別の生き物なんだから、自分の都合を他人が暗黙裏に理解してくれるわけがありません。
そう考えると、他の事例もだんだんと分かってきます。
「この曲を演奏できるか?」
と聞かれて
「多分できます」
と返答する学生というのも、
「絶対できるとは言えないけど、まあほどほどに何とかなるだろう……」
と思っているわけであって、
「演奏できなかったらブチ殺されるかも知れない」
とは少なくとも思っていないわけです。
いや、普通に僕が約束破った人間を1人ずつ埋め立てているような人間だったらどうするんですか。。。
全然あり得る話ですよ、マジで。
大学生に責任感がないのは、
「まあカンペキにできなくても謝ったら許してくれるだろう~」
「相手もオニじゃないんだしほどほどに済ましてくれるだろう~」
という謎の信頼感を世間に対して持っているためです。
なんでそんなに世の中を信じられる????
お坊ちゃん育ちの優等生らしい平和思想ですが、実のところ世間がそんなに優しいわけがありません。
そう考えると、起業家界隈の軽薄な学生が文末に「!」を多用するのも、
「そんな真面目なカタい感じで話したくないから軽い感じにしとこ~」
と思ってやっているのかも知れません。
しかし語尾に「!」が付いていようといなかろうと、真面目でカタい感じのお話というのはその辺にいくらでも転がっています。
お金とか仕事とか契約とか就職とか信用とか社会とか、いくらでも。
それなら「大学生の自由研究」とは?
こんなことをつらつら書くと、「大学生の自由研究」がクソきつい自己啓発系キショめサークルのように思われるかも知れません。
でも実態は全くの逆で、まずこのサークルには責任感が一切ないことが知られています。
なんなら公式HPに明記してあります。
さらに言うと、このサークルが本当は何なのか、誰も知りません。
HPには「50年続けるサークルみたいなもの」と書いてあるので、サークルかどうかも怪しいみたいです。
(僕はゆかいな犯罪組織だと思っている)
ちなみにHPのトップはこのようになっています。
というわけで、無責任かつ自由な学生生活を送りたい人は「大学生の自由研究」に来るのが良さそうです。
何かやりたいときに何かやりましょう。
1人より2人でやりましょう。
飽きたらやめましょう。