大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

豊田講堂と自転車

 

当ブログはデータによると、しばらく更新のない期間であってもコンスタントに日に50回前後はアクセスされているようである。一体どういう層の人々が日々大学生の自由研究の記事をチェケしているのか私にはあまり見当がつかないが、もしかすると時期がら、この前の入試で名大合格をつかみ取り、ウッキウキで名大についてあれこれ調べているうちに、新入生にほとんど益するところのない当記事に誤って漂着した名大生が読んでいるかもしれない。

 

そんな方々がもし読んでいたら、尋ねたいことがある。名古屋大学」と聞いたとき、最初に思い浮かぶのはどんな情景だろうか?

 

 

多分、河合塾の名大オープンのチラシやらオープンキャンパスやらで目にしたであろう豊田講堂がまず浮かんだと思うし、それがあまりに自明なので上の余白に幻覚の豊田講堂が見えている方もいるだろう。実際これが模範解答だ。もし別の情景が思い浮かんだという新入生は、小手先のTOEFL対策などやめて、名古屋大学出版会から刊行されている「名古屋大学の歴史 1871~2019(上・下)」をのっけから通読・精読したうえで、来たる春学期はⅢ期開講の全学科目「名古屋大学の歴史」に潜ることを強く推奨する*1

 

しかし、私は本当に、本当にこんな畏れ多いことを言いたくなく、実に渋々、あるいは恐る恐る言うのであるが、豊田講堂は名大のシンボルとして空疎過ぎる。空疎過ぎる。確かに豊田講堂は紛うことなき名大のシンボルであるが、少なくとも大半の学生にとってはシンボル以外の本当に何者でもない

とは言え、大学に来る度顔を突き合わせているのでさすがに全く愛着が湧かないなどということはないのだが、それでも「名大と言えば豊講」の図式は、卒業式で最後にそこを訪れるその日まで結局大学側から与えられたものでしかなく、あくまで学生生活の彼岸にあり続けているように感じる。

 

余談だが、名大には「ホームカミングマ」という、粉薬色のクマが豊田講堂を頭部に装着しているだけの、どことなくナポレオンズの例の手品みたいなキャラクターがいる。

 

このキャラクターは名前の通り、「ホームカミングデー」という名大のOB・OGが集結してあれやこれやする出雲の神在月的なイベント*2のときにだけ山の上から下りてくる哺乳類である。

このキャラクターには何度でも驚かされる。ここまで豊田講堂のシンボルとしての空疎さを体現したキャラが存在しうるということに。粉薬色であることにもクマであることにも意味はなく、それなのに粉薬色のクマである以上にこのキャラが担っている情報といえば首から提げている社員証みたいなものだけである。端的に言って、このクマは豊田講堂の器でしかない。それは豊田講堂が名大のシンボルでしかないのとパラレルなのだ。もっと言えば、ナポレオンズの被り物がタネの分かりきった錯視をひき起こすためだけのものでしかないのともパラレルだ*3

それでもこのグマ*4を愛したいという方は、以下のTwitterアカウントの投稿に結構な頻度で出てくるのでフォローされたい。同程度の凝り具合のタコとリスとネコもいる*5

名古屋大学 Development Office on Twitter: "改めてDO室と一緒にホームカミングデイを盛り上げてくれる4人(?)をご紹介! 上から、 🐻ホームカミングマ 🐙メイダコ 🐿️オカエリス 🐱みゃあご教授 です! 時々登場するのでどうぞよろしくお願いいたします🙌 https://t.co/DZJ1flDN9f" / Twitter

 

余談の余談になってしまうのだが、名大でクマと言ったら普通はこっちである。グマと対比させてみると、なんとなくこちらは南部・北部地区を、グマは理系地区をそれぞれシノギとしている感じがする。

 

 

 

なかなか自転車の話が始められないので私は苛立っている。話を戻しつつ話を進めると、名大を代表する情景は何かと聞かれたときに、虚ろなシンボルである豊田講堂より私は寧ろ、名大駅1番出口からだとその反対側にあたる2グリと経済学部棟に挟まれた道路や、全学棟正面の立て看やファミマが立ち並ぶ道路など、そういう景色をこそ挙げたいのである。

と言っても、これは別に革新的な意見というわけでもないだろうし、この記事の主眼はそこにはない。ここでようやく本題に入れるのだが、ところで、今挙げたような名大の代表的・学生的景観にはほぼ必ず自転車が入り込んでいるということにお気づきだろうか。

 

 

*6

 

大体こんな画像を貼らずとも、「名大の学生的景観にはほぼ必ず自転車が入り込んでいる」と言われた段階で、分かる人の脳内には私が本当に貼りたかった画像というか光景が思い浮かんでいるだろうし、逆にこう言われてピンとこない人に対して、上の画像を示しながら「ほら、本当に写ってるでしょ?」と言ったところで仕方がないのである。

 

それはさておき、事実として、名大の構内にはおびただしい数の自転車が存在する。ただその事実だけをもって、自転車(と原付)をさも”名大名物”であるかのように語るのはいささか早計なように思う。仮にもそのような主張をするのであれば、少なくともみゃあ大*7とケッタマシーンの絆がいつに始まったものなのかぐらいは調べておいたほうがよいだろう。

 

名大構内の自転車は、何も地面からニョキニョキ生えてきたり空から降ってきたりしてそこにあるわけではない。少なくとも構内に持ち込まれた時点では持ち主がいて、それは基本的に大学へ授業を受けに来た名大生のはずである。なので、名大生の自転車通学率は概ね構内の自転車の台数に比例するだろう。

名大生の自転車通学率が載った冊子がないか、以前のマックの記事のときと同じように図書館の1階に潜って探してみたところ、「学生経済生活状況調査報告書」「学生生活状況調査報告書」という早口言葉みたいな文書に行き当たった。

 

前者が1980年に実施した調査の報告書で、後者が2016年のそれだった(23/04/03 脚注に追記)*8。隔年で実施していたようだ。

 

まず前者によると、

「あなたの通学方法は、主としてどれですか。1.徒歩 2.公共交通機関 3.自転車 4.オートバイ 5.乗用車」

という設問に対して、「自転車」と回答した学生は全体の約13%であったという。ちなみに最多票を集めたのは「公共交通機関」で、全体の約50%であった。

だがこの質問方法では、例えば本山駅や八事駅までは電車で来て、そこから名大までは自転車で行くというような通学パターンも「公共交通機関」に少なからず含まれていることが予想される。言うまでもなく、まだこの当時は名大的旧石器時代、すなわちいわゆる本山原人たちが南山生に嘲われながら十字架を引き摺って四谷通りのヴィア・ドロローサを歩いた時代であり、名古屋大学駅開業まではまだ20数年を待たねばならない時代の話である。

 

とは言え、そのパターンを考慮したにしても13%は決して多いとは言えない数字であり、「自転車、名大名物説」的には喜ばしからざるデータだ。その理由はおそらく当時の大学生を取り巻く生活環境や社会に負うところが大きいのだろうが、当時の名大のキャンパスにも大いにその一因があると思われる。

以下は、さっき私がタコ殴りにしたクマを雇用している事務所のnoteの記事である。

note.com

 

シンプルに文章が面白いので是非読んで欲しい。読んで頂き、記事中のキャンパスの鳥瞰図などを見て頂ければ、どうして当時の自転車通学率が(相対的に)低かったのかが分かると思う。

ここに記述されているのは、言ってみれば”ガチで開かれていたころの”名大であり、キャンパスが車にスーパー優しかったころの名大である。学生にもマイカー持ちが結構いたという重要な証言まである。アンサイクロペディアで「トヨタ大学などと呼ばれたりする」などと浅いイジりをかまされている名大であるが*9、昭和末期の名大はどうやら”ガチ”のようだ。

そしてあまりに開かれているので、バイクでブンブンハローの人たちが盛んに構内に入構というか入寇というか侵入してきたという。

ただ、名大史ックレコードこと「名古屋大学五十年史 通史 二」によれば、ブンブンハロークライシスは1972年頃から問題化しており、また構内の自動車駐車台数や駐車マナーに関しても大体同時期に問題視され始め同じく対策が講じられるようになったというから*10、1987年のキャンパスの写真は既にその真骨頂ではないのかもしれない。

特に70年代前半については中央図書館がまだ存在しておらず、工学部1,2号館の間の道路と全学前の道路が繋がっていたので、構内の車移動も今より全然快適だったと思われる。現在に生きる我々からすれば、少々グロテスクな写真である。「1961~1969年」の写真はもっとグロい。こちらも載せようと思ったが、手が震えてスクショ出来なかった。

 

地理院地図 / GSI Maps|国土地理院

 

ちなみに、1983年には名大新聞*11から怒りの号外が飛び出している。最盛期は大体この頃なのかもしれない。

 

以上が40~50年前のキャンパス事情である。本当は学生時代から名大で勉強してきた年配の教授方にお話を伺えたら良かったのだが、本記事はそういうブログ記事ではないし、小生はそういうことができるブロガーではないのでご容赦願いたい。そういうことができるブロガーだったら、多分「粋」とか「me~dia」の末端構成員になっていたと思います。

 

 

では一気に時代は下って、高速も地下鉄も開通している2016年のデータを見ていく。同調査ではなんと、自転車通学者は全体の34.5%にまで上昇している。

詳細には、自宅生・下宿生共に自動車通学がほぼ全滅したこと、下宿生の徒歩およびオートバイ通学が減少したこと、そしてそもそもの下宿率が微増したことが数字の変化に表れているようである*12

通学手段が変化すれば、キャンパスの様相も変化するらしい。通学手段移行の過渡期にあたる両調査の大体中間の年代、すなわち1990年代のキャンパスでは、どうもこんな問題が発生していたようである。

 


20年前に自動車の駐車マナーにブチ切れていた名大新聞が、今度は自転車の駐輪マナーにブチ切れているではないか。そう、自転車通学者が増えたことで、駐輪場不足と駐輪マナーが問題化したのである。
それにしても、現在の全学周辺と比べるとなかなかえげつない光景で、「火の使い方は知っていても 駐輪場の使い方は知らない。」と全学前の黄色の謎看板にディスられてもおかしくない写真である*13

ちなみに記事にある「仮駐輪場」はA館の西側にあったらしく、現在学生利用施設(正式名称は何と言うのだろう?)がある一帯がそうだったと思われる。

 

自由闊達放置自転車vs当局の戦いも、自動車のときと同じく十数年という長い時間をかけて、考えようによっては現在に至るまで戦われている。これはその”一例”の写真であるが、以下の呑気に学食を食べにきた物好きによるブログ記事に、2023年を生きる名大生なら驚かないではいられない写真が載っている*14

 

大学学生食堂レポート 学食研究会ブログ 2008 9/2 名古屋大学東山キャンパス

 

しかしそれでも、名大構内の駐輪マナーは向上の一途を辿っていると言ってよい。私が実際に学生として過ごしているここ数年間を考えただけでもそれは明らかで、例えば経済学部棟前の自転車の列も以前よりこざっぱりした気がするし*15、フレ南前に万里の長城の如く城壁を為していた放置自転車もいつの間にか全滅していたりする。

 

 

無論それは喜ばしいことである。しかし同時に、そのことに一抹の寂しさを感じている自分もいる。いや、正直なところ一抹どころではない。普通に寂しい。なんなら喜ばしくもない。さっき喜ばしいと書いたのは、名大の代表的景観を聞かれて「豊田講堂です」と答えるときと同じ神経の働きによってである。

だからと言って、何も再びA館前や1番出口周辺がまた無頼自転車で溢れて欲しいと願っているわけではない。いや、正直間接的に願っているかもしれない。だが少なくとも、直接そう願っているのではない。私がなんとなく寂しく思っているのは、名大がどんどんこんな感じの大学になっていくことである*16

 

youtu.be

 

ツルツルでスベスベ、清潔で淀みのない、均整のとれた名大。重厚感のある、立派で偉大な名大。「こんな感じ」とは大体こんな感じである。そしてそのような名大の象徴こそが豊田講堂ではあるまいか。

一方で、私が名大名物(仮)としてここまで推してきた自転車、特に放置自転車が象徴する名大は、全くこれに当たらない。実際(と言うべきか)、上に貼った名大プロフィールビデオに、自転車は全くと言っていいほど出てこない*17ザラザラで淀んだ不細工で小汚い名大。軽く小さい名大。

二者は完璧に対立する。だが言うまでもなく、正義は豊田講堂にある。というか、豊田講堂は正義をその性質として有している。自転車の方は寧ろ、正義から降りていることに意味がある。

 

こう書いてあるのを読んで「なんだかよく分からない」と思った方に対して、「ここでいう”淀み”っていうのはですね...、キャンパス内の通路とか植え込みとかが...学生の動線が...景観の印象が...」というように無理くり言葉で説明したところで、「名大の学生的景観には自転車が入り込んでいる」云々のくだりのときと全く同じ理屈によって、まるで意味がないのだろうと思う。要するに馬に念仏というか、坊主にウマ語で喋っているようなものだ。そして所詮馬は、馬鹿は、畜生は私の方である。

 

それでも一点だけウマ語で補足を試みるのであれば、私がこうもキャンパスのノイズである自転車・放置自転車に同情的、擁護的であるのは、元をただせばおそらく私自身を同じく名大のノイズであると感じているからである。この自意識の根は深い。

ところで、本来私は明日3月27日、同級生たちと一緒に豊田講堂にいるはずだったのだが、現実にはいつまでもある放置自転車のように来月からも大学に残留することが決まっている。今後とも私が自転車・放置自転車の肩を持ち、豊田講堂と豊田講堂を被ったクマに放火を続ける限り、私と豊田講堂との山手通における断絶が解消されることはなく、私は永久に名大を卒業することはできないのかもしれない。

とすれば、とにかく豊田講堂と和解せよ。裁きの日は近い。偉大で調和的で正しき豊田講堂と、和解せよ。そのうち。

 

 



 

 

 

*1:わざわざ脚注で書くことでもないが、これ以降はまだあまり名大のことを知らない新入学生には優しくない内容となっているので、ブラウザバックしてTOEFL対策を再開した方がいい。

*2:神在月/神無月は旧暦の10月だが、ホームカミングデーも10月に開催されるし、秋祭が同時開催される。

*3:しかし、それでもナポレオンズの手品が愛おしいように、私はホームカミングマを結局憎みきることができない。

*4:「ホームカミング」と接続するために変形したイニシャルの「グ」は実質的に一字で「ホームカミング」を代表していると考えられるので、キャラの略称として積極的に「グマ」を使っていきたい。

*5:「タコだけなんか浮いてね?」と思われる方がいるかもしれないが、英語でOctpusと言うように8本脚に特徴をもつタコは「八」とゆかりの深い名大や名古屋市を代表するキャラのモチーフとして(少なくともクマやリスやネコより)かなり好適であると私は思う。しかもこのメンダコだけ体色が(濃緑ではないが)緑であったり、語尾が一匹だけ名大にちなんだ「メイ」であったりと、アイデンティティの名大への依存度が他三匹より高いところにも少し惹かれる。

*6:あからさまに古い写真は、前者が日本リクルートセンター(現:リクルート)が1980年に刊行した「名古屋大学総合研究:その歴史・学生生活・就職先・入試ほか」に掲載されていたもので、後者が名大生協が1987年に刊行した「名大スピリッツ:名古屋大学を知る本」に掲載されていたものである。

YouTubeのスクショは以下の動画のもの。

🎓♯6【4K】名古屋大学東山キャンパスぐるっと案内【キャンパスツアー/行き方/アクセス/名古屋大学駅】The way to Nagoya Univ.🇯🇵NAGOYA walking tour - YouTube

HELP DESK 名古屋大学 経済学部キャンパスツアー - YouTube

HELP DESK 名古屋大学散歩(文系編)🚶‍♂️🚶‍♀️:経済学部,文学部,中央図書館,情報学部,全学教育棟 - YouTube

[新入生・受験生必見!] 名大に入ったらまずはここ! 名大2年生が紹介する5大スポット! - YouTube

名大のメインストリートにコメント(コメントクラブ) - YouTube

*7:「めーでゃあ」とした方が名古屋弁に近いのだろうが、「みゃあだい」の方が方言を雑にイジってる感じがして不快なのでこちらを採用した。

名古屋大学 - Chakuwiki

*8:同名資料の所蔵は2016年のものが最新となっていることから、同調査はこの年を最後に(怠慢からか)実施されなくなったものと思っていたのだが、記事公開後になって偶然、名大ポータルに2020年の調査報告書のpdfを発見した(!)。昨年秋にひっそり公開されていたようで、調査が行われてから報告書公開まで2年間じっくり熟成されたデータである。

名大ポータルで、「授業・研修」内の「教養教育院」>メニューバーの「お知らせ」>お知らせリンク集>学務と飛ぶと、ページ中ほどの「その他」の下に「【学生・教職員】第28回学生生活状況調査について」という題のリンクがある。

ちなみに、というかなんと、同調査では通学手段の聞き取りは行われていない。だがそれもあながち分からない話ではなく、ちょっとネタバレになるが、昔と違って現在では通学手段の相違は自宅通学/下宿の相違とほとんど変わらなくなってしまっていて、敢えて設問を設ける意義は無いも同然と見做されたのだろう。

*9:https://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E5%A4%A7%E5%AD%A6

*10:818-819頁。

*11:戦後間もない頃から半世紀近くにわたり克明に名大の”現在”を記録し続けてきた無二の学生団体「名古屋大学新聞社」が発行していた新聞。そのように由緒ある団体であるにも関わらず、世紀末ごろに突如名大史から姿を消したのだが、幸い図書館地下に大量のバックナンバーが遺っており、今は無き彼らを偲ぶことができる。

*12:一方で、自宅生は今も昔も大半が電車通学のようである。それは経済的な事情の他にも、名大が「地帝」と揶揄される一つのゆえんでもある東海三県出身者の多さ(つまり、実家が近くも遠くもない学生の多さ)が背景にあるのだろう。

*13:3年前くらいからある気がする謎の看板であるが、名大には度々名大生を啓蒙し”自由”に目覚めさせようとする看板やモニュメントが出現する。以前1グリに現れた「自由」もそうだ。

*14:以下のツイートにも。

大学生情報ネット on Twitter: "名古屋大学にてココロヒトツ配布中!! #genesis-nagoya http://t.co/onQfFzTp" / Twitter

*15:法学部と経済学部は所属する建物を共有しており、建物の南北にそれぞれの学部の正面玄関を有しているため、ギリシャ神話のヤヌス的な格好になっている。ヤヌスの二つの顔はそれぞれ未来と過去を見つめているというが、駐輪場的には法学部玄関が未来の顔で、経済学部玄関が過去の顔だと言えるだろう。その意味するところはすなわち、自転車が所定の場所に整然と駐められた東山キャンパスという未来と、適当なスペースに雑然と自転車が駐められていた東山キャンパスという過去である。そして過去の顔は、遠目に本山界隈を見つめている。

*16:私は何も名大の進歩、発展、進化を拒絶しているわけではない。いや、正直間接的に願っているかもしれない。だが少なくとも、直接そう願っているのではない。

*17:2:45あたりで初代参戦看板が無邪気に映り込み、動画の調和を微かに乱している。初代参戦看板は確か3年ほど前から、当局に摘発されるエイブルや部局に課されるペナルティなど種々のものの参戦を学生に告げてきたが、昨夏ごろに朽ちて崩壊した。ところが今年になって、二代目参戦看板が元の場所に意気揚々と参戦し、名大の参戦スピリットは断絶を免れた。

自転車(特に放置自転車)と立て看板とは、学生がキャンパスにノイズを持ち込むという点で共通している。