大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

東山キャンパスへの不満 1選

 

この記事は元々「東山キャンパスに思うこと」というタイトルで「鶴舞・大幸キャンパスに思うこと」と題した記事のあとに公開する予定だったのだが、両記事がもうすぐ書き終わるところで日々の生活が健康で文化的な最低限度を下回り、QOLとIQが壊滅的に減退したため結局完成させることができなかった。

それが先々月のことである。今は今で相変わらず衰弱したナメクジみたいな生活を送っているのだが、その一方でまた相変わらず永遠に完成しない別のブログ記事と不断の格闘を続けており、先週遂にはにまでブログが現れた。このままではブログに取り殺されかねないと思い、下書きの中で一番完成に近いこの記事だけでも放出することに決めた。

そういう経緯があるので、この文章は所々に表現や構成の上で違和感を覚える箇所があると思うが、この言い訳を押し通すためにほとんど修正はしていない。私は自己弁護のためならもう10000字くらいこの前置きを書く用意があるが、私はこの自己弁護のために10000字を書くメンタリティこそがこれまで記事の完成を阻んできた当のものであることに薄々気づいているので、このへんで既に十分長い前置きを切り上げようと思う。

 

名古屋大学に来てからの私の人生の変容ぶりを喩えるならば、さながら空中分解、爆発四散して死の地表へ一途に墜落する宇宙船である。私は名大で何も得ることなく、しかし持てる全てを失った。去る大晦日の寒空の下、八海山をオーバードライブして震える手で公衆電話の受話器を取り、名大に爆破予告の留守電を入れたのだが、やっとの思いで帰ると、先手を打ったあったか大学によって自宅が跡形も無く爆破されていた。私は近い将来に正義の法廷で名大のエバーグリーンを鮮血で染め上げるために、来年にでも今いる文学部から法学部へ移籍するつもりである。

 

私は名古屋大学が好きだ。より詳しく言うと、私は名古屋大学に対して二通りの興味を抱いている。

一つは勿論、私が在籍し、そこで時間を過ごすところの名古屋大学へ素直に抱く愛着および愛校心からくる興味であり、要するに愛校心である。

そしてもう一つは、全国津々浦々に分布する多種多様な大学の一例としての名古屋大学に対して抱く興味である。

これらはつまり、総合された名大に抱く興味と分析された名大に抱く興味であり、あるいは、名古屋大学の特殊性と普遍性(こう言ってよければ名古屋大学の「名古屋」の部分と「大学」の部分)にそれぞれ抱く興味でもあるだろう。

 

この二つの興味は截然と分かたれたものではないが、主に「名古屋」愛からかねてより残念に思っていることがある。医学部の施設が名大の本丸・東山キャンパスにはなく、鶴舞キャンパスと大幸キャンパスに分散してしまっていることである。

私の名大愛は結局のところ”東山愛”、言ってみれば”東山文理大学愛”である。この千種区の南端、尾張丘陵の西端からでは「名古屋」愛が絶妙に届かない東区の東端、昭和区の西端にある両キャンパスもれっきとした名古屋大学であるという事実によって、私の名大愛はその不徹底を宣告されてしまうのである。この微妙な苦々しさは表現しづらい。あるいは寧ろ、この苦々しさの微妙さが表現しづらい。なぜなら、ギリギリ割り切れるからだ。

 

 

と言ってもまあギリ割り切れるから究極良いのだが、一方で実はギリ割り切れていないこともある。キャンパス名に関して、「鶴舞」「大幸」に対して「東山」はちょっと名前で押されてるのではないかという問題についてである。

 

仮にも東山キャンパスは名大の本丸である。本来3キャンパスの名前は、水戸黄門の「黄門様」「助さん」「格さん」の並びのように、本キャンパスがかっこよさで頭一つ抜けているべきではないか。「助さん」「黄門様」「黄門様」の三人衆による水戸黄門なんか、キモ過ぎてとても見れたものではない。しかし現状の名大はキモ黄門なのである。

他方で確かに、「東山」という名前からは、シンプルさ故のエレガンスみたいなものを感じないこともない。しかしそれは思うに、京都の方の「東山」(あるいは「東山」紀之)が持つエレガンスの残響ではないか。そう思うのは、これが「西山」とか「東川」*1とかだった場合を考えると、途端に今言ったエレガンスみたいなものが霧消するからである。それに、「鶴舞」と「大幸」に対抗するためには、やはり華やかな名前の方が良い気がする。

 

じゃあどんな名前ならいいんだ、という話に当然なるのだが、ここで一旦外に目を向けて、日本に無数にある大学のキャンパスの中から選りすぐりのイカした名前のキャンパスを紹介してみる。そしてあわよくば、東山にはこれらのキャンパスの塵を煎じて飲んでもらいたい。

 

 

早稲田大学 早稲田キャンパス

威風堂々の、一丁目一番地感。狭い地名でかつ知名度があるのが良い。ちなみに駒澤大にも駒澤キャンパスがあり、こちらも一丁目一番地感がある。

 

広島大学 霞キャンパス

医学部があるキャンパスなのだが、凡人にはたどり着けない仙境みたいな、神聖さというか厳かさを感じる名前だ。

 

神戸大学 鶴甲キャンパス

前の記事で少し言及した六甲台地区を構成する1キャンパス。「つるかぶと」と読む。「鶴」も「甲」も単体では個性的で印象的だが、くっつくと相性が微妙である。でもその不細工さが良い。

 

熊本大学 黒髪キャンパス

清楚さよりも若干不気味さが勝ってる。本部がある。

 

山梨大学 医学部キャンパス

デカ過ぎて学部ごとにデカキャンパスを持っている日大とかならまだ頷けるネーミングだが、全然そんなことない山梨大が(しかも医学部が)こう名乗っているのを見ると、そこに鋼鉄のプライドを感じざるを得ない。かえって潔い。

 

獨協大学 学園町キャンパス

「学園」とは獨協大のことである。じゃあ要するに、「獨協大学 獨協大学キャンパス」ってことではないのか。「私は私のお母さんから生まれました」みたいなことを言っているのか。

 

亜細亜大学 日の出キャンパス

大学名もキャンパス名も固有名詞感が薄すぎて架空の大学みたいになってる。「アジア」と「日の出」のシナジーが感じられる。一応言っておくと、日の出町にある。

 

東京電機大学 千葉ニュータウンキャンパス

東京農業大学 北海道オホーツクキャンパス

東京スカパラダイスオーケストラ」「福岡ソフトバンクホークス」「田中マルクス闘莉王」みたいになってる。

 

皇學館大学 伊勢学舎

”本物”感がある。というか”本物”なのか。

 

芦屋大学 六麓荘キャンパス

名前からも金持ちが住んでいそうなように、六麓荘町(ろくろくそう)は兵庫県の有名な高級住宅街であるらしい。明治学院大の白金キャンパスの関西版感がある。

 

東北学院大学 多賀城キャンパス

多賀城」という地名に城柵のイメージがありすぎて物々しい。「東」「院」「大」の漢字と合わさって、平安時代っぽさが加速している。

 

追手門学院大学 茨木総持寺キャンパス

漢字多すぎて漢詩みたいになっている。数字の桁の「恒河沙」「那由多」とかを見たときと同じ威圧感を覚える。

 

神戸学院大学 ポートアイランド第1/第2キャンパス

名古屋でいう金城ふ頭みたいな場所にあるキャンパス。だが多分金城ふ頭とは違って、深夜に輩がバババンバンバッバババッbbンボンボンボン!!!!!!!!!!!bbbbvvンブボババボbボボボボボ!!ブブブブブボババボbボンボボンボボブンブンババババbンン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!bbbbbbbbbbbbbボボボボボボボボボボオオオオオオンンン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!とエンジン音を響かせて公道を爆走するというようなことはないのだろう。お洒落さに隙がない。

 

桃山学院大学 あべのBDL

BDLとは「ビジネスデザイン・ラボ」の略で、その名の通りビジネスデザイン学部が入っている。完成からまだ2年ちょっとしか経っていない。はじめに「新キャンパスの名前、あべのBDLにしましょうよ」と言った人の度胸には感服する。このくらいの進取の気概がなければ、ビジネスの世界ではやっていけないのか。個人的には、BUILDINGを誤って略したのかと一瞬心配になる。

 

 

途中イチャモン大会になりかけていたが、とにかく全国にはかくも個性的な名前のキャンパスが存在する。

さて、ナイスネーミングの”コツ”も掴んだので、翻って名大について考えてみる。もし名大のキャンパスを好きに移転できるとして、名古屋のどこにキャンパスがあれば「鶴舞」「大幸」に対抗できるのか、いくつか空想してみようではないか。

 

名古屋大学 錦キャンパス

やはり最初に浮かぶのはここかと思う。俄然、名古屋大学の「名古屋」の部分が光り輝いて見えてくる。

そうだ、名古屋大学は「名古屋」大学なのだ...そうだ、思い出せ...原人たちよ...あんなシケたカスみてぇな住宅街飛び出してよ...不夜城に繰り出せ...カラオケ館デカ過ぎだろ...ほら、見ろよあの看板...

 

              錦

              は

              世

              界

              の

              中

              心

              地

 

 

 

名古屋大学 覚王山キャンパス

単体でもカッコよさは市営地下鉄駅名最強の「覚王山」だが、なによりその聡い感じが「名古屋大学」の響きと相乗効果を生んでいて良い。法(ダルマ)学部がありそうである。ちなみに、「覚王山」というのは同地にある日泰寺山号

 

名古屋大学 極楽キャンパス

極楽とは名東区の地名で、市立名東高校があるあたりがそれに相当する。いざ真顔で言われると気味が悪い地名ではある。名大のスパコンの名前も多分「極楽」になっていただろう。

似た雰囲気の地名として、名大より少し南に行ったところには「楽園町」が存在する。「楽園」という言葉の方はちょっと俗っぽい感じがするし、パチ屋の手垢がついていることもあり、ちょっとダサい。

 

名古屋大学 百人町キャンパス

百人町は大曽根駅千種駅のちょうど真ん中ぐらいの場所にあり、近辺に東海高校が所在する。賑わいというか活気を感じる愉快な地名でシンプルに好きなので加えてみた。ちょっとバカっぽいのが良い。

 

名古屋大学 一番キャンパス

名港線に六番町駅があるが、周辺にはn番(町)という地名が散在しており、その一番。

「いちばんキャンパス」と書くと「いきなりステーキ」みたいになる。無邪気で良い。

 

名古屋大学 みかん山キャンパス

総合リハビリセンター駅の駅名になっている名古屋市総合リハビリテーションセンターがあるあたりの場所である。

こくご学部とさんすう学部が置かれており、お昼には学生たちが吹き抜けに生えているバカデカいみかんの木になっているみかんをもぎにくる。

 

名古屋大学 志段味キャンパス

「大学」以外の漢字が全部1文字1音しか対応しておらず、コスパが悪い。

場所によっては、晴れて名市大名工大と同じように構内に古墳を手に入れることができる。やはり構内に死のない大学には生もない。

 

名古屋大学 道徳キャンパス

金山から名鉄中部国際空港方面に3駅進むと、道徳駅という大逸れた名前の駅がある。南区。

全学の「生と死の人間学(基礎)」「生と死の人間学(中級)」「生と死の人間学(コミュニケーション)」「生と死の人間学(上級)」を修得しないと進級できない。これらの講義で代返すると豊講前で磔刑に処される。

 

名古屋大学 北名古屋キャンパス

上小田井よりちょっと北に行ったあたりが北名古屋市である。というか、北名古屋市に本部があったら、それはもう北名古屋大学なのではないか(東大阪市にある東大阪大学みたいになっている*2)?そうしたら、鶴舞キャンパスは実質「北名古屋大学 名古屋キャンパス」になってしまうのではないか?

ちなみに、千葉大学には西千葉キャンパスがある。”西千葉市”にあるわけではなく、普通に千葉市にある。

 

名古屋大学 古虎渓キャンパス

中央線のダークホース(タイガーか?)。古虎渓駅は多治見にほど近い、大体県境のあたりにある。もはや岐阜県なのだが、名大からの距離は意外と25kmくらいである(名大から豊田市の中心街までの距離と大差ない)。

名古屋を名乗る手前、「虎」ではなく「龍」とかであった方が好ましいが、「鯱」の右側が虎であるつながりで大目にみてやってもいい。それに「古龍渓」などと書くと、うっかりジエン・モーラン*3とかが出現しそうで怖い。

そういえば、鶴舞と大幸はともに中央線の駅からのアクセスが良好だ。ぜひ東山キャンパスも古虎渓に移転しよう。

 

 

 

前回に増して非建設的で無意味な記事を書いてしまったが、私はこのブログ記事を書いている時間以外はいつでも建設的に生きているので構わない。あまりに建設的過ぎるので、文学部建築学科と呼ばれているくらいである。でも一旦ブログを書き出すと、駄文学部だ。

 

 

 

 

*1:「山」の反対の言葉って「海」「谷」「野」「川」とか色々浮かぶなぁ、と不意に思ったので注に書いてみた。

*2:ついでに言うと、佐賀県に「西九州大学」という、九州大学とは無関係の大学がある。同じく九大とは無関係の「南九州大学」が宮崎県にある。

*3:モンハンの。3しかやっていないのであんまり詳しくない。