大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

腕相撲と性差


以下に書き述べるのは、僕が高校生だった頃の話です。

高校生活二度目の夏休みを迎える少し前のある日、僕を含む2年1組の男連中は昼休みに教室の一角で腕相撲に興じていました。
僕は高校で軽音楽部に所属していたので、文化系部活の生徒たちとは概ね互角の勝負を繰り広げていました。しかし、ホッケー部やハンドボール部などの運動部で活動していた屈強な漢《おとこ》たちには全く歯が立たず、勝負を挑んでは机に手の甲を強かに打ち付け、しかし懲りずに別の強者と戦い、そしてまた敗れるということを繰り返していました。

昼休みもあと少しで終わろうかというその時、それまでこちらで巻き起こる密やかな狂騒を気にも留めていなかった女子の群れから、ひとりの女の子、Yさんが僕たちのもとに歩み寄り、「私ともやろう、カワセ君になら勝てそうな気がする」と言い放ちました。
当時、僕は2年生になってはじめて同じクラスになったYさんのことをよく知らなかったので多少面食らいはしましたが、その申し出を断る理由も特に無かったのでYさんの挑戦を受けることにしました。
机を挟んでYさんと向かい合い、僕はこれから腕相撲で負かすこの子に対して勝負の後にどのような言葉をかけるべきか思い悩んでいました。

人類が男性と女性という隔たった二者に分けられる以上、その間には性差というものが存在します。僕たち男性は自らの腹に子を宿すことを望んでも叶わず、女性がその役割を担います。また、一般的に男性は女性に比べて身体に占める筋肉の割合が大きく、走る、跳ぶ、掴む、投げる等の身体能力では女性より優れているとされています。
つまり、「性差」という神の導きが既に二次性徴期を迎えている僕たちの身に大いに発現している以上、自信ありげに腕を差し出すこの少女が男性である僕に勝つことなど到底不可能だということです。
初めから約束されていた勝利を手にしたその時に、僕は敗者に対してどのような慰めの言葉をかければ良いのか分かりませんでした。

のちにYさんは明るく快活な人だということを知ったので僕の考えは杞憂だったのですが、この時は試合前の僅かな時間が永遠に感じられるほどの速さで思考を巡らせていました。
勝った後の第一声を思い付かず、いっそのことわざと負けるか、負けないにしても多少の接戦を演じるなどするか、などとも考えましたが、不自然にならないように芝居を打つ自信も無かったのでやめました。
結局問いに対する答えが出ないままYさんと手を組み、勝負の開始を知らせる掛け声がかかりました。

数秒後、僕の手の甲は机に強かに打ち付けられていました。僕は秒殺とも言える速さでYさんに負けたのです。
性差の壁を軽々と乗り越えたYさんは、嬉しそうな顔で「カワセ君弱いね」と呟きました。僕は、はにかみつつゆっくりと頷き、自らを苦しめた問いに対する回答を放棄できたことに胸を撫で下ろしました。加えて、もう少し習慣的に運動を行うよう心がけることを決めました。