大学生の自由帳

ペンギンパニックとエノキ工場の香り

夢を渡る黄色いM

 

名大には、スタバがある。

 

名大にはスタバがある。あのスターバックスコーヒーが、名大の中にある。スタバがあるというただそれだけのことの、かくも喜ばしく、誇らしいことよ。ああ、「スタバがある」の響きだけで、強くなれる気がする。このささやかな喜びを潰れるほど抱きしめていたい。

このように適当なことを宣う一方で私は、不遜を承知でこのようにも思う。「名大にスタバがあるのは確かに素敵なことだが、そのスタバを私はほとんど利用しない。私からしてみればスタバはいささか敷居が高く、あまり気軽に利用できない。あわよくば、私が普段学外で利用するような、例えばファストフード店やラーメン屋が学内にあってくれたら...」と。

 

いや、これが不遜であるものか。名城大にはスガキヤがある。愛学にもスガキヤがある。愛工大と愛大にはスガキヤすき家がある*1名古屋学院大にはモスバーガーがある。中部大にはマックがある。学内チェーン店の相場と言えば、大体こんなもんだろう!

それにそもそもスタバはカフェであって、食堂ではない。私が、いや私だけではないだろう、少なからぬ名大生がなんとなく求めているのは、食堂のような学内ファストフードチェーン店ではないか?スガキヤでも良いだろう。すき家なんかも良い。モスはちょっと高いか。マックなんてあったら、それはもう...

 

言われてみると、名大の周りにはマックがない。八事イオンまで2.2km、星ヶ丘、池下まで各2.8km、植田一本松*2まで3.2kmと、ほぼ同心円状に避けられている。青々とした芝生の向こうに青色LEDの時計盤を輝かせる豊田講堂の風景が印象的な名古屋大学はあたかも、赤地に黄色のMをロゴとするマクドナルド除けの結界を張っているかのようである*3

 

前置きは以上にしておこう。

画像や引用がやたらに多いので非常に縦に長い記事になっているが、今回ばかりはそれら抜きで話を進めるわけにはいかなかった。

目次

 

 

 

名大には、マックがあった。

 

実は、名大には昔マックがあった。あったのである。

しかし、今となってはその痕跡は微塵も残っていないので、普段キャンパスにいる我々にしてみればにわかに信じがたいことだ。だがどうも本当らしい。

 

 

このように、「マックのある名大」を知っている人々は確かにいるようなのである。

 

 

そして主にこれらの人々の口から、「昔マックがあった」という”神話”が度々聞かれる。

 

 

度々...

 

 

来る年も...

 

 

来る年も...

 

 

いつまでも...

 

 

こだまのように...

 

 

存在しないものについての話が...

 

 

脈々と、あるいは断続的に...

 

 

とうとうYahoo!ゴミ袋にまで...

 

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

しばしばサイドストーリーもセットで...

 

 

 

 

 

これだけ幻のマックについて人々が話していながら、本当に奇妙で不可思議なのは、ネット検索ではマクドナルド名大店に関する一次資料を全然見つけられないことである。加えて、語り部たちの口からはほとんど年代などに関して正確な数字が出て来ないことも奇妙だ。

つまり現状、「マクドナルド名大店」は人々の噂話の中だけに存在する空中のファストフード店であると言っても過言ではない(「マクドナルド名大店」と書くと、なんとなく昔流行った「検索してはいけない言葉」の趣がある)。

マクドナルド名大店」についてのツイートは数多くあるが、その実在性についてコメントしているのは、今のところかつてのミスター名大の御仁しか確認できていない。これはある種の炯眼と言うべきだろう。

 

 

 

以下は上記ブログの抜粋である。これまでの噂話より一歩踏み込んだ情報が書かれている。

 

名古屋大学にマックができてほしいという声をよく聞きますが、実は何年か前に名古屋大学内にマクドナルドの店舗が存在していました。その場所は全学教育棟の1階の、いまはプランゾというショップがある場所だったといいます。

(自分も人伝に聞いたことがあるだけで、インターネットにもほぼその情報が残っていません。以下は名大のマックに関するコメントのあるページです。以前はもっと情報がインターネットにあった気がするので、ちょっとずつインデックスから消されている気もします。)

https://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/890

 

上にリンクのある「名大にファミマ出現」というブログが、大体「名古屋大学 マクドナルド」などと検索したときに発見することができる最も古い「マクドナルド名大店」に関する記述であろう。ブログにはこうある。

 

そんなものができたのですか…

私が在学していた当時=12年以上前、名大にはマクドナルドがありました。あれは面食らいました。

三重大にはヨドバシカメラを1つ。

 

 

 

一旦まとめよう。これまでのツイートやブログの引用から無難に分かることを書き並べるとこのようになる。

・全学教育棟1階の現在プランゾがある場所にマクドナルドがあった。

・2006年の12年前、つまり1994年にはマクドナルドがあった。

・2000年前後に閉店した。

・閉店の原因には、名大生がケチ過ぎて、長期休み中に売上がほとんど上がらず、生協の圧力で等、諸説見受けられる。

 

これまで「マクドナルド名大店」に関して竜宮城ほどの実在性しか感じてこなかった人々にしてみれば、これだけでもかなりその真相に近づいたと思われるに違いない。

しかし、少なくとも私は、どうもこれだけの情報では全然満足がいかない。これまでの情報は、どれも何か重要なものを欠いているように思えてならないからだ。

それは、臨場感である。つまり再説になるが、「名大にはマックがあった」ではなく、「名大にはマックがある」と語る資料が、まだ出てきていないのである。マックの生きていた、まさにその体温が感じられないのである。

 

この記事が書かれた理由はまさしく、私がひょんなことからそのような資料(サイト)を立て続けに発見したからである。ここまでかなり長くなってしまったが、一応これからが本題である。

 

 

 

名大に、マックはあった。

 

これから3種類の資料を参照することで、「マクドナルド名大店」の神秘のヴェールを剥ぎ取ることを試みる。

実のところを言うと私は、そのことにどこか名残惜しさを感じている。だから、このブログ記事を公開するのにも、若干の抵抗がある。というのも私には、この名大を泳ぐ無害な亡霊をもうちょっと好きに泳がせて、その様子を見ていたいという気持ちがあるのだ。

しかし、この亡霊を成仏させることによって、また何か新たな展開が生まれるのではないかという期待も少なからずある。なのでこのブログ記事の目標は、真相を能う限り究明するのは勿論、その上で「マクドナルド名大店」がどう変容を遂げるのか、ただ消えていくのか、何かを残して去るのか、...を見届けることにある。

 

 

では資料を紹介していく。最初の資料は、名古屋大学新聞である。

 

名古屋大学新聞(以下、名大新聞)は学生サークルの名古屋大学新聞社が刊行していた新聞で、HPによると創刊は昭和二十四年だという。この前出版された「名古屋大学の歴史(上・下)」の挿絵にもちょこちょこ使われている、半分オフィシャルとも言えそうな資料である。

 

www2.jimu.nagoya-u.ac.jp

 

この新聞の存在に気付いたのは、Twitterで名大のマックについての言及を漁っていたときに発見した以下のツイートによる。

 

 

これには流石に驚いた。歴史から抹消されたかと思われていた「マクドナルド名大店」の存在を伝える文書が、現実に存在していたとは...。

名古屋大学新聞は中央図書館の地下1階に収蔵されているらしいので、実際に確認したところ、最初の「マック開店三ヶ月」という見出しの出ている号は1995年の6月22日に発行されたものであった。

また、ツイート2,3枚目の写真にある記事は同年3月27日のものであった。

 

左上に刊行された年月日の記載がある

 

Mの文字が躍るドア。遂に相まみえることができた。これがマクドナルド名大店であるマクドナルド名大店はあったのだ。「」は、もう必要ない!

 

今度は、同年4月26日の記事である。記事中ほどに4月11日にオープンしたとの記載がある。1995年4月11日マクドナルド名大店の歴史が始動したのだ。

また、さっきとは別の入口の写真も載る。

 

 

時系列と逆の順番での紹介になってしまっているが、ツイートにもあった同年3月の号(下図)には、全学棟(当時は「共通教育棟」*4)1階のフロアマップが載っている。

コミュニティホールというのは、現在の学生ホール、もとい”服部国際奨学財団ホール”に相当するようである。現在の服部(中略)ホールおよびプランゾの作りと異なり、マクドナルドはホールの北棟側にあったようで、今のプランゾのS棟側の入口はこの当時壁になっている。

 

 

勘違いしそうになるが、カフェコーナーがそのままマクドナルドだったわけではなさそうである。この記事はマック特集ではなくコミュニティホール特集なので、マックがどんな風に全学棟と融合していたのかについては分かりきらないところがある。

マクドナルドがあった当時の全学棟のフロアマップがないか探してみたところ、図書館の1階に眠っていた「共通教育棟等の改修工事に関する検討委員会報告書」なる謎資料に奇跡的にそれを発見することができた。やはり新聞の図は、マクドナルドのホール側壁面に沿った柱より南側しか描いていないようである。

これを見ると、今のプランゾぐらいか、それ以下の厚みだったようである。

 

 

新聞に戻ろう。上の3つの記事が書かれてから約2年が経った1997年6月4日の名大新聞では、「今日のお昼は何食べようか」の見出しのもと学内の食堂や喫茶店が紹介されていたが、そこにもマクドナルド名大店の存在を確認することができた。

 

 

至極当たり前のことだが、マックが存在したということは、マックが利用されていたということである。マックが利用されていたということは、マックを利用する学生が存在したということである。このトートロジーもどきは、何度でも確認されるべきだ。

写真だが、今とはいくらか趣向の違うエントランスが興味を惹く。地べたに座り込んでハンバーガーを食べる学生。1グリが出張してきたみたいで、ちょっと憧れる。同じ大学に通っているのだが...。

それと、ナゲットもシェイクも無かったらしい。まあ、そんなものだろう。

 

大体記事も出そろったところで、考えてみたいことがある。以上の記事に出てきた2つマクドナルドの入口は、それぞれどの位置からどちらの方向を向いて撮られたものだろう?

 

 

左の写真の入口は、フロアマップから考えるに北棟側から撮ったものだと思われる。実際97年の記事をよく見てみると、(そこが本当に正面なら)左の写真の入口と似たような入口があるのが辛うじて確認できる。

仮に左の入口はそこだったとすると、右の入口はどうなるだろう。こちらの写真には、「コミュニティホール側から見た」とキャプションがついている。とすれば、左の入口の写真の奥に光っている銀のフレームは、このドアのものであろうか?ところが右の入口の写真の奥には、左の入口らしきものは写っていない。

写っていないのだが、床に店名を書いたらしい看板が置いてあるところなどを見ると、閉店後でシャッターか何かが下ろしてある可能性が考えられる。また、フロアマップの載っていた3月号の左上にマック入居前のカフェコーナーの画像が載っているが、ドア周りのデザインが右の入口と酷似していることからも、おそらく右の写真はカフェコーナーでマックを正面から撮ったものであろうと推測される。

 

 

中央図書館の名大新聞の所蔵は1999年3月の第820号で最後となっており、半世紀に渡って紡がれてきた名大新聞の伝統はおそらく、新世紀の暁光を拝むことなく恐怖の大王によって途絶せしめられたようである。以下のサイトに最新のものと思われる2009年の名大新聞がPDFで掲載されているが、見ると第825号と記載があり、やはりそれ以前の10年間はほとんど新聞を刷っていなかったことが分かる。

 

www2.jimu.nagoya-u.ac.jp

 

 

 

 

では次の資料を見ていく。それとは、ご存知Me~diaである。

 

Me~diaを知らないなどという方はもはや確チャンで名大生エアプなので説明不要かと思うが、一応言っておくとMe~diaは名大生協の機関誌である。

実は、Me~diaのバックナンバーがネット上で公開されているのである。知らなかった方も多かろう。かくいう私も知らなかった。

但し、2009年10月~2015年7月の間の号は、Adobe Flash Playerがサポート終了してどうのこうのというので、私のパソコン力(ぢから)では閲覧することができなかった。また、2009年中に発刊されたものもどうしてか見ることができなくなっている。

 

www.nucoop.jp

 

このMe~diaの1995年の4月号に、このようなページがある。

 

 

レストラン花の木とほぼ同時の開店だったようだ。

個人的に一番気になったのは、「理カフェの横にロッテリアができるらしい」という見当違いの噂が当時流れていたことである。正反対の場所にマクドナルドができるという奇妙なオチ付きの噂であるが、変に味のある流言飛語である。こういうことはどんどん記録してほしい。

私が小学2年生だったころ、学校で「(同級生)がMステのインタビューに出る」という噂が流れてきたことがあった。小学2年生にとってこんな面白い話はないので、大喜びで別の友人にその話をしていたところ、関西出身の野球が上手い仲村という同級生が恐ろしい剣幕でこちらへにじり寄ってきて、「何内輪の話バラしてんねん(意訳)」とブチギレてきた。私はたしか、半ベソかきながら謝るか弁明するかした。凹んだまま家へ帰って、まあとりあえずMステに出る同級生を見ようと思って番組を注視していたのだが、結局同級生は少しも出てこなかった。

 

私の話はどうでもいいとして、続く6月号には、マクドナルドの盛況を伝える記事が載る。

 

 

名大マックのハンバーガーを食べる名大生のいるコミュニティホールの写真が載っている。さっきと同じことだが、実際に名大の構内でハンバーガーが食べられていたという事実には、いくら驚いても驚きすぎることはない。

長机があるということは、新聞にあったフロアマップでいくと、ラウンジコーナーからカフェコーナーの方を向いて撮った写真ということになろう。

ここまでどの記事も必ずゴミやマナーへの懸念をダラダラ書いて終わるというスタイルを採っていて、母親みたいだ。同時にどうしてか、全学棟の前の通りにしょっちゅうファミチキの袋が落ちている光景が脳裏に浮かぶ。

そういえば、冒頭の方に生協の圧でマックが圧死したという説を唱えるツイートを貼ったが、生協とマクドナルドがどのような関係にあるのかまだ判然としない。それに、よく見ると名大新聞とは違ってこちらではマックを「名大生協店」と紹介している。おそらくこちらが正式名称であろう。

 

Me~diaは企画力の弱さからか割合高い頻度で懐古記事が載っていて興味深い。全ての号は確認していないのだが、もしかしたら近年の記事でマクドナルドについて書かれている可能性は大いにある。

 

 

 

では、最後の資料を紹介する。それは、2chの名大スレである。

これは、既に見た2つとはかなり毛色が違う。とりあえずリンクを貼ろう。

 

w.atwiki.jp


一番上の「名古屋大学スレッド」はエラーが出て見ることができないので、遡れる最も古い記録は「名古屋大学スレッド2」である。その最初の書き込みがされたのは2001年の10月27日とある。そこからコツコツ書き込みが蓄積されていき、大体2010年ごろを最後に更新は途絶えている。

名大スレの書き込みは、言ってみれば「名大キャンパスライフプレイ実況」である(もっと言えば「根暗キャンパスライフ」かもしれない)。確かに荒らしコメントや不毛なやりとり、不正確な情報も相応に多いが、それでもそこには「草の根の名大史」が克明に記述されている。

とにかくまずは見て貰いたい。

 

 

あまりピンとこない施設名や単語があると思うが、それらについてはまた別の機会で書いてみたい。

さあ、書き込みについてであるが、概してくだらない。どれも取り立てて書くようなことでは決してない。だがこれこそが、マクドナルド名大店が確かに存在したという最大の証左ではあるまいか?

当時において、マクドナルド名大店は幻でも非日常でもなんでもなく、紛れもなく日常だったのである。

 

ナゲットが追加されたらしい。シェイクは依然ないようである。


ところで、まだマクドナルド名大店について分かっていないことがある。それは、その終焉である。

新聞社はマックより先に寿命が尽きたせいで記録に失敗しているし、Me~diaには特にそれらしい記述を発見することができなかった。図書館にある名大についての諸々の記録も、21世紀に入るとどうしてか学生主体のものがめっきり減ってしまっている上、店舗の開店ならまだしも、その閉店を記録していそうな文書は私には見つけられなかった。

だが、20年前の名大生2ちゃんねらーは、しかとそれを目撃し記述していた。


その日は突然訪れる。

 

 

マックが撤退するってYO

よくぞ書いてくれたと思う。私の知る限りでは、マクドナルドの閉店について現在に情報を伝えるているのは、もはや3匹のBボーイをはじめとしたこの連中の書き込みしかない。

意外と反応が冷ややかなのは、2ちゃんねらーの性からであろう。

89には是非ともまた名大に足を運んでもらいたいものである。

牛丼屋を推す声は多く、現在でもTwitterを調べると名大に牛丼屋を望むツイートが散見される。ちなみにこのとき、まだ鏡池通のすき家は存在しなかったようである。そう分かるのは、この2ヶ月後に以下のような会話が交わされているからである。

 

 

 

公式アナウンスをコピペしてきたと思われる書き込みによると、マクドナルド名大店の命日は2003年2月18日だそうである。

そして、正確な名称もここにきてようやく分かる。

マクドナルド 名古屋大学生協店」。死に際になって、ようやく...

 

 

閉店からものの一月しか経たないうちに、マクドナルド跡にコーヒーショップのようなものが出来たという書き込みがある。これはプランゾであると見て大方間違いない。

名大スレにはプランゾという名前は出ていないが、Me~diaには2005年の6月号に既にプランゾの名前が出ている(意外と古参なのである)。また2008年4月号の記事に小さく写っている”旧プランゾ”の壁面の中央に「ESPRESSO」と書いてあることから、これをコーヒーショップと見間違えたのも頷けることである。しかもその実際は「少し品のいいコンビニ」であるというところも今のプランゾと大して変わらない。

 

 

ところで、新聞のところで少しだけ紹介した「共通教育棟等(中略)報告書」は、2003年3月に発行されたものであった。つまり、この平面図はほとんど遺影のようなものだったのである。

 

再度、中略報告書


脚注まで読んでいるマメな方はずっと気になっていたかと思うが、この共通教育棟というのがいつから我々の知る全学教育棟になったのかについてまだ書いていなかった。

図書館で色々資料を見て回ったのだが、結局私は、それが明確に記されている資料をほとんど発見することができなかった。というか、これは異常なことではないか?名大の全学部生が利用する建物の改称などという事件について、全然情報がないなどというのは...。

まあ本題からは逸れる話だし、最近は在りし日のマクドナルドの面影を追うのに必死で、他の諸々のすべきことが全然できていないし...と諦めかけていたところで、「名大キャンパスマスタープラン」を載せている東海国立大学機構の施設統括部のサイトに、学内専用ページが存在していることに気がついた。

 

web-honbu.jimu.nagoya-u.ac.jp

 

その「施設情報・活動報告」の欄に、「全学教育棟等の改修工事に関する検討委員会報告書」と題された、中略報告書に激似の文書のPDFがあったのである!こちらは2005年12月に作成されたものだった。

中略報告書が作成された目的は、マクドナルドの最期の姿を遺すことではなくて、簡単に言えばこれから実施しようとしている共通棟の改修工事の計画書だった。新しい中略報告書の方も、これまでの工事の概況をさらいつつ、さらなる改修工事の計画を示すものとなっている*5

新しい報告書には、中略報告書で計画されていた改修工事が概ね完了した2005年12月時点の全学棟1階の平面図が載っている。そのかつてマクドナルドがあったのと同じ場所には、「売店」とあっさり書かれているのみであった。

この新しい報告書では、資料編を除くと「共通教育棟」という言葉はほぼ全く出てこない。一方で、中略報告書では一貫して「共通教育棟」の名称が使われている。思うに、この約2年半に渡る改修によって「共通教育棟」は「全学教育棟」に生まれ変わったのではないか

とすれば、同時に次のことも言えるはずだ。「共通教育棟」は、マクドナルドと心中した。マクドナルドは「共通教育棟」とともに、名大史の闇へと消えていったのである...。

 

 

 

以上が、私の調べたマクドナルド名古屋大学生協店の全てである。

このあたりで、これまで出てきた情報を簡単にまとめよう。

・正式名称:マクドナルド名古屋大学生協店。1995年4月11日開店、2003年2月18日閉店。

・共通教育棟(現:全学教育棟)1階、現在のプランゾ前の学習席があるあたりに店を構えていた。

・営業日・時間は平日8:00~17:00、休日閉店。

・メニューは少なく、チキンタツタ、ナゲット、シェイクなどは無かった(ナゲットは後に追加)。

・閉店理由はシンプルに赤字だったからだと思われるが、詳細は不明。閉店後、同場所にプランゾが開店した。

・閉店後間もなく共通教育棟の改修が始まり、この改修完了とともに共通教育棟は全学教育棟へと改称した。

 

 

 

マックはもうない。

 

さて、マクドナルドの話が一段落して3ヶ月が経とうとする頃、スレにこのような書き込みがされる。

 

 

「マックがあったん?」
8年間も営業していたのに、閉店してしまえばもうそこにあったかどうかも分からない。鴨長明もビックリの川の流れの速さである。ヘラクレイトスもビックリの川の流れの速さである。美空ひばりもビックリの川の流れの速さである。

 

マクドナルドがあった1990年代~2000年代前半の時期の名大は、まさにその転換点にあった。構内の多くの建物が老朽化・狭隘化を理由に耐震工事・増築・改築を余儀なくされた。教養部廃止および新学部・研究科設置、大学院重点化、法人化による組織・カリキュラム再編などに伴って、部局再編もめまぐるしく行われた。

大学の周りでは地下鉄および高速の工事が着々と進められ、四谷通および鏡池通の景観を一変させていた。特に地下鉄が開通すると大学周辺の学生の動線は大きく変化し、それによって街並みもまた変化していった。

こうも慌ただしいと、もはや例えるなら川というよりも滝である。マクドナルド名大店は、滝壺の深い青に溶けていったのだ。

 

青で思いだしたのだが、そういえば冒頭で、芝生の緑と豊田講堂の青色LEDマクドナルド除けの結界のようである、と書いた。

実は、マクドナルドが名大に開店した時点では、まだ豊田講堂の時計の文字盤は青色ではなかったのである。そもそも、文字盤のイルミネーションが始まったのが開店の前年であった。そのことが、名大トピックスの巻末のコラム「ちょっと名大史」No.40に載っている。

 

nua.jimu.nagoya-u.ac.jp

 

その以前の色は何だったかと言うと...赤色!

そして青色に変わったのは2001年11月だという。マクドナルド閉店の時期と1年ちょっとしか変わらない。名大にマクドナルドがあった期間と、豊講の文字盤がマクドナルドカラーに光っていた期間はほとんどと同じなのである。そして豊講より突如発せられたデーモン光線を浴び、マクドナルドは死んだのか。

 

 

 

とにかく、マクドナルド名大店という小舟は名古屋大学転換期の荒海に漕ぎだし、押し寄せる波濤に噛み砕かれて幽冥なる沖合に消えたのだ。

 

だがマクドナルド名大店はもう幽霊船でも、空中の楼閣でも竜宮城でもない。夏草茂る草原である。

ところで最後に、問うておきたいことがある。「マクドナルド名大店」を覆っていた神秘のヴェール、あるいは『「」』は、以上の一連の情報の整理によって本当に剥ぎ取られたのだろうか。

マクドナルドの残り香をどれだけ追ってみても結局のところ、”かつては...”という言葉に先行されてしまう虚しい存在か、現在の全き不在が思われるばかりであろう。しかし、当該爆長文記事を丹念に読んでこられた奇特な方はひょっとすると、存在と不在についての模糊とした思弁の最中にふと、この『「」』の小脇を通り過ぎた感触がしたかもしれない。もし真正面からぶち当たったというなら、是非ともそれがどんなだったか教えて欲しい。

マックがあった。「マック」はあった。マックがもうない。「マック」はもうない。「マック」があった。マックはあった。「マック」がもうない。マックはもうない......そうとも、私は混乱させようとしている。私自身を。あわよくば読んでいる方も道連れにしようとしている。もう一度、今度は並び替えてみる。

マックはあった。マックがあった。マックがもうない。マックはもうない。「マック」があった。「マック」はもうない。「マック」はあった。「マック」がもうない。折角ここまで読んできたなら、一文一文、ゆっくり読んでみてほしい。印象を追うだけでいい。もし印象においてさっきと何か変わるところがあったなら、もう既にこの韻文的な四つ辻の雑踏で『「」』とすれ違っているはずだ。

 

ともあれ。奇しくも、今度の2月でマクドナルド閉店からちょうど20年が経つ。別に、だからどうということはない。だけどどうも、ただそれだけのことという気がしない。記憶には値しないが、忘れ去るには惜しい。顧みるほどではないが、立ち去るのはどこか躊躇われる。

触れられるほど近くはないが、見えないほど遠くはない。追いつけるほど遅くはないが、追いかけられないほど速くはない。声が返ってくるほど堅くはないが、声がすり抜けるほど虚ろではない。こちらを顧みるほど気安くないが、我々を拒むほど気難しくない...

 

君を忘れない

曲がりくねった道を行く

生まれたての太陽と

夢を渡る黄色い砂...

 

 

 

 

 

 

*1:ちなみに愛大はさらに、出てすぐのところにサイゼとコメダとマックがある。びっくりドンキーもある。びっくりしているのはこっちだ。要するに立地が異次元なのだ。

*2:周囲に駅がないのであまり認知されていないかもしれないが、東山テニスセンターを挟んだ向こう側にある。交差点の角に位置し、土日などはドライブスルーに並ぶ行列が道路を封鎖してしまうので、度々警察が出動していた。

*3:どうでもいいが、緑と青の補色がそれぞれ赤と黄である。

*4:共通教育棟がいつごろ全学教育棟に改称されたのかについては後ほど述べる。

*5:さっき何気なくMe~diaの新プランゾ開店の記事を載せたが、このプランゾが開店したのは新報告書の工事が完了したからである。